私の足は急いていた。
目指す場所はあの教会だ。腕時計を確認する。まだ、彼女がスラム街へ行くような時間ではない。

一刻も早く彼女に会いたかった。
彼女が息をし、目を瞬かせるのを間近で見たいと思った。
今日の任務は非観血的なものだった。ただの死体の処理だ。『死体の処理』であるはずだったのに。

ミッドガルのはずれにある廃棄物処理場。破棄された冷蔵庫のなかに、袋にくるまれたそれは隠されていた。
部下が無造作にそれを地面に下ろし、袋を外す。
顔の判別ができぬほどに膨れ上がった顔。体つきからして若い女だ。体の前で組まれた腕を掴むと、ブレスレットの鈴がリンと音をたてた。
女はウェーブのかかった栗色の髪を有していた。ひどい有様の体と相対的に、その髪は輝きを失っていない。だからこそ、その髪が私に強烈な印象を与えた。

手元の資料をめくる。
そこには女の顔写真があった。美しい女だ。口を真一門に結び、カメラをにらみつけている。
最期まで仲間のことを吐かなかったと書かれている。女の爪はすべて剥がされ、指紋は焼かれていた。
年齢を見る。そこに記された数字は、彼女の年と一緒であった。
口の中を見、歯がすべて抜き取られていることを確認する。
「『それ』を破棄しろ」
部下に指示し、書類に簡単なサインをすれば終わりだった。


教会の中へと足を踏み入れる。
光に満ち溢れた世界に目を細める。祭壇下にある花畑に目をやると、彼女はいた。
床を軋ませながら近づくと彼女が顔をあげて私を見た。
凛とした空気、まっすぐな視線で私を貫く。
「……ひさしぶり、ね」
しばらくの沈黙のあと彼女は言った。
彼女と会うのは数週間ぶりだった。口にするのは短くとも、私にとっては長い時間だったことを思い出す。

「元気にしていたか」
「おかげさまで、元気にさせてもらってます」
ゆっくりと言う言葉に、苦笑する。そうやって彼女は皮肉を言うのだ。
変わらぬそれになぜか安堵する。

「……なんか、消毒液の匂いがする」
私のスーツの匂いを嗅ぎ、彼女は頷いた。「やっぱり、する」と。
「風邪が流行ってるからな」
死体を触ったからだ、とは言えるはずがない。

椅子に腰掛け、耳を澄ます。
彼女が持つスコップが土を掘る音が好きだ。彼女の手からこぼれる種が土に当たる音が好きだ。
この街には人工的な音があふれていて、彼女の編み出す音は数少ない自然の音だから。
視線を顔に移す。彼女は大きな瞳で私を捉えていた。私を正面からまじまじと見つめることは珍しい。
すべての会話やしぐさにおいて、彼女は正面から私を見ることはすくない。
極力顔をそらすか目を伏せ、私と会話をするのだ。
何事かと思う私に向けて、彼女はゆっくりと唇を動かした。

「なにか、あった?」
「なぜそう思う」
「なんとなく。……なんか、ぼーってしてるから」

彼女はそう言ってから「まあ、どうでもいいけど、ね」と付け足して先ほどの作業に戻った。

背もたれに背中をあずけ、手を組む。
彼女全体を視界にとらえ、思い出されるのはあの女だった。
今まで数々の死体を見てきた。その死体は神羅をはじめとするタークスが「処理」してきたものだ。
私自身が手を下したこともある。私は任務を遂行するまでだ。神羅の手となり足となり、暗躍するのが私の仕事だった。

死体の感触は嫌いだ。
触れても弾力のない肌。伝わらない温度。ただの冬の冷たさではない。
そのなかでも最も嫌悪感を抱くのが手だった。
ブレスレットを見たとき、女の掌が視界に入った。掌に刻まれた無数の線。数時間前まで動いていたであろう指は天を仰いでいた。
人差し指が私を指差している。女が私を責め立てる。

『あなたは多くの「彼女」を殺してる』

水の音で現実に引きもどされる。
何も知らない彼女が土に水をかけている。
水のアーチに光が当たり、小さな虹ができる。彼女はそれを見て微笑んでいた。
その微笑みは決して私には向けられない。私はいつも、彼女の微笑みを傍観しているだけだ。


浮かび上がる死体の手。私の手はあの感触を未だに覚えていて、自分の手を握ったところでそれは払拭されない。
彼女の手に触れたい。
皮膚に伝わる血流を感じたい。皮膚を押し込み、戻る肌の弾力を感じたい。
水をかけ終わった土を手でならす彼女の掌。
手を伸ばしたい感情を押し込めて、うつむく。
彼女に対してそのような感情を抱くなんてどうにかしている。
私がここにいるのは任務の一つであるはずなのに、彼女に対して別の感情があるだなんて口が裂けても言えないのだ。


「ツォン、体調でも悪いの?」

言葉に顔を上げる。
視界に広がる桃色のワンピース。
額に触れる冷たい手。
「熱はないみたいね。でも、顔、真っ青。帰ったら?」
不安げに首をかしげて彼女が言う。先ほどまで土に汚れていた手は水で濡れていた。

彼女が私の体調を気遣ってくれた。
そのために、冷たい水で手を洗ってくれたのか。
呆然とする私の顔を覗きこみ「ほら、ぼーっとしてる。風邪、ひいたんじゃない?」と言葉をかける。

彼女の手をおもむろに掴むと、彼女の体が大きく跳ねた。
男のものとは違う、やわらかい掌だった。荒れた掌は生きている証拠だ。
強く握ると「痛い」と言う。あの女はそんな言葉など発しないし、こんなにやわらかい手ではなかった。
「ツォン?」
彼女の呼びかけを無視して、両手でその手を握り締める。この様はまるで、聖女に罪を懺悔する悪人のようだ。
たとえば彼女にすべてを吐露したらどうなるだろう。彼女はなんと言うだろう。どんな眼で私を見るだろう。

エアリス。
つい先ほど私は死体を見た。ただの死体じゃない。「我々」が殺した死体だ。
死体は女で、年齢は君と同じだった。意志の強いあの眼は君と重なった。
そして私はそれを処理するように部下に命じた。我々の所業と発覚しないように、隠ぺいしろと。
あの死体は今も廃棄物のなかにあって、明日には廃棄物と一緒に処理されるだろう。
警察は動くだろうが身元不明で処理される。
なぜか私は君に会いたくなった。しばらく会っていない君がここにいるのか不安になった。

「……今日だけよ」

耳に触れる彼女の声。私の心の乾いた部分に染み入る言葉。
人差し指に触れて、爪先まで撫で上げる。
この人差し指は私を指差さない。彼女はいつもここにいるのだ。


『あなたは多くの「彼女」を殺してる』


聞いたはずのない女の声が耳元で聞こえて、目を閉じる。
手に伝わるやわらかな掌とその温度。



私はこれからも、多くの君を殺すだろう。
懺悔することも、償うこともなく。





2009/04/06 meri.







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