夢から目覚めると、そこは白の世界だった。
甘い飴を口の中で転がすように、あの夢を楽しみ、その幻想に浸っていたかった。
ぼんやりと麻痺した頭を休ませて、倒れていたわたしは体を起こした。
あたりを見渡して、体を触る。
つま先から頭のてっぺんまで、手で触れてけがをしていないか確認する。
けがはしていない。どこも、痛くない。白い世界で、わたしの体はぼんやりと頼りない。
ここはどこだろう。
わたしはどうやってここまできたのだろう。
記憶をたどろうとするが、それは雲のようにふわふわで、すりガラスの向こうにある物体のように靄がかかっている。
不思議と不安な気持ちにはならない。
ただ、ここはどこだろうとか、みんなはどこにいったんだろうということを考えて、わたしは白の世界を眺めていた。
そうだ、この場所を手紙に書いてお母さんに送ろう。
お母さんはスラム街から出たことがないから、わたしは定期的に手紙を送って外の世界を教えている。
返事はないけれど、リーブさんに頼んでいるからちゃんと届いていることだろう。
ここは寒くも暑くもない。過ごしやすい気温で、気を抜くと眠りに落ちてしまいそうな感じだ。



どれだけ座っていただろうか。
長い間、わたしはここにいたような気がする。その間、何度も空間に呼びかけた。
「だれかいない?」とか、みんなの名前を片っ端から呼びかけた。
だけど返事もなければ風の音もなにもない。数回繰り返し、馬鹿らしくなってやめた。

以前、クラウドが「迷ったときはそこから動くな」と言っていた。下手に動きまわると、面倒なことになると。
だが、もうここにはいられない。現にわたしはここで待っていた。けれど、誰も一向にやってくる気配はない。
もしかしたら、みんな散り散りになってしまったのかもしれない。
また、わたしが知らぬ間に神羅にさらわれてしまった可能性だってある。
とりあえず、行ってみよう。
立ち上がり、服を払う。ここは土もなければ埃もない。だが、つい癖で服を払ってしまう。スラム育ちの性だろうか。
ずっとみんなと旅してきたから、ひとりになるのは久しぶりだけど……スラム育ちだもの、だいじょぶ。
自分自身に言い聞かせ、わたしは足を踏み出した。
道なき道を進む途中、歩んできたルートが分かるように目印を落とす。
ポシェットの中にはアイテムや食糧が入っていて、落とせるようなものは何もなかったから仕方なくリボンをほどいた。
リボンをほどいたとき、そこに何か大切なものがあったような気がした。
桃色のリボンは汚れていて、ところどころ染みができていた。
泥でもつけてしまったのだろうか。染みどころか、擦り切れているところもある。
ポシェットからナイフを取り出し、リボンを細かく切る。染みもできていたし、買い替えにはちょうど良い時期だろう。
ピンクの道がわたしの後ろにできた。


細かく切ったリボンのかけらがなくなりかけたころ、白い世界に黒い点が現れた。
それをめざし歩いているとリボンがなくなったので、次はジャケットを脱いだ。
黒い点が実体を帯びる。それは人のようだった。黒いスーツを着た、長い髪の大人が立っている。わたしに背を向けているから顔はわからない。
わたしの足は次第に小走りとなり、スピードは徐々に上がっていく。
見覚えがないのに、わたしはなぜこんなに走っているのだろう。
息が上がり、胸が高鳴るのがわかる。
あの人は、だれ?
わたしはわたしにたずねる。
わからない。
わからないけれど、とても懐かしいの。

黒い髪、黒いスーツ。
ああ、あと少しで思い出せそう。
横顔が見える。憂鬱そうな顔。仏頂面で……そう、彼はいつもそうだった。
笑った顔なんて見たことなかった。
切れ長の目、すっと通った鼻筋。
彼がわたしを見る。

「ツォン」

唇からあふれ出た名前に、わたしはハッとする。
そうだ、彼はツォンだ。
なぜ忘れていたの?わたし、ツォンのこと大嫌いだったのに。
ツォンは、わたしを見ると息を漏らし、次にうつむくと、またわたしを見た。
わたしはツォンにあえてほっとした。
永遠と思えるこの場所で、初めて会った実体をもった存在だったからだ。ツォンは相変わらず黒いスーツで、あの鋭い目でわたしを見ている。
だが、少し様子がおかしいと思った。彼の凛とした空気が僅かに、ほんの僅かに崩れているような気がする。
「ここはどこなの?いつからいるの?」
今まで抱いていた疑問をツォンにぶつける。

「エアリス……わからないのか?」
彼は十分な時間を置いて、そう言った。わたしには理解できなくて「え?」と首をかしげることしかできなかった。
言葉を探しあぐねている。ツォンは小難しい顔をしてなにかを考えている。
わたしはそんなツォンを見ながら、懐かしさを覚えていた。

なぜ、わたしはこんなに懐かしいと思うんだろう。
だって、彼はしょっちゅうわたしの目の前に現れたじゃない。
だいたい、ツォンに会ったら懐かしいなんて言う感情なんてわからないはずだ。いつものわたしなら、いかに彼と早く別れるかを考えるはずなのに。
そんなに長い間会っていなかった?彼と最後に会ったのはいつ?
記憶を呼び起こそうとする。
ミッドガルを出て、いろんな町へ行った。行く先々でツォンをはじめとするタークスに会った。
そして……ツタに覆われた神殿。そう、わたしは古代種の神殿に行った。
古代種の神殿に入るとき……彼は血だらけになっていた。

そうだ。
ツォンはセフィロスに刺された。わたしは間近で見た。ツォンの腹部から赤黒い血が流れ出るのを、顔が青白くなっていくのを。
はっきり覚えてる。わたし、見たもの。ツォンと、話したもの。
「ツォン……なぜ」
わたしの言葉に、ツォンは首を横に振った。
なぜ、ツォンはここにいるの?なぜ、無傷なの?なぜ、平気な顔をして立っているの?
矢継ぎ早に生まれる疑問に、わたしは頭を押さえる。
わからないのか?というツォンの言葉はどういう意味?
わたしは、わたしはいったいどうしたの?

ツォンがわたしの肩を掴もうとした瞬間、足もとにあった白い地面が大きく波打つ。
空を覆う白い雲が晴れて青空が見えるように、足もとの白が晴れてその下のなにかが見え始める。
まず、はじめに見えたのは白い肌。それはワンピースからのぞく足だ。
視点が上へと上がっていく。次にうつりこむ赤い液体。ところどころ固まっているのがわかった。
そして、見慣れた服が現れる。桃色のワンピース。おなかの辺りが血に染まっている。
これはだれ?これは夢?なぜ、お腹が血に染まっているの?
膨大な情報に、わたしは追いつけない。なぜ?という言葉がわたしの頭を埋め尽くす。

次にうつりこんだのは、ティファだった。
ついさっき会ったはずなのに、ずいぶん昔に別れたような気がする。
ティファは顔を両手で覆って肩を震わしていた。なにか悲しいことがあったのだろうか。なぜ泣いているの?
弾かれたようにティファは走り出し、視点はティファのものとなった。
祭壇に向かって走るティファ。映し出されるティファの視界に映ったのはわたしだった。
わたしは血を流し、天を仰ぎ横たわっていた。ぴくりとも動かず、唇からは一筋の血が流れ出てジャケットを汚していた。
クラウドがわたしの髪に顔をうずめている。
血溜はわたしのものだった。その血は祭壇だけでなく、クラウドの体も汚している。
足もとの大きなスクリーンは、わたしの全身像を映し出している。

腹部に手を当て、掌を確認するがそこにはなにも付着していない。
何度もそれを繰り返しては、足もとで横たわるわたしを見つめる。
足もとのスクリーンに靄がかかり、わたしの体が徐々にぼやける。
何事もなかったかのように、地面は元の白に戻った。

わたしは暫く地面を見つめていた。
ここに来る以前のことを思い出そうとする。
古代種の神殿で、ツォンに会って……そして神殿は黒マテリアとなった。
覚えてる。ちゃんと、覚えてる。そしてわたしはどうしたんだっけ。
頬にピリリと痛みが走った。それを認識すると、先ほどまで何ともなかった頬に熱が広がる。
そうだ、クラウドに頬を殴られたのだ。クラウドは意識を失って、わたしは一人で宿屋を出たわ。
忘らるる都に行った。ひとりで、怖かったけどさっきみたいに自分を励まして走った。
そうしたら、クラウドが来てくれた。
わたし、ほっとして笑った。だって、うれしかったから。

そこまで思い出すと、猛烈な吐き気がわたしを襲った。
口元を手で覆い、その場にうずくまる。顔を膝にうずめて、わたしはえずいた。
「エアリス」
ツォンがわたしの名前を呼ぶ。
わたしは首を横に振った。すべてがわかった。
なぜわたしがここにいるのか、どうしてツォンがここにいるのか。
「……思い、出した」
ぎゅ、と目をつむると、先ほどの映像が繰り返し瞼の裏に浮かび上がった。
「わかってた。こうなること、知ってたの。だから……」
吐き気はおさまった。手をついて立ち上がり、ツォンを見上げる。
なぜか、彼が悲しそうだった。こんな結果に終わったのはわたしなのに、ツォンが辛そうな顔をしている。
こんなツォンを見るのは初めてだった。

「なにも、悲しいことなんてないの」
口角を無理やりあげて、笑って見せた。
笑うことにはなれている。こうやって笑えば、皆安心の表情をわたしに見せてくれる。
この子は一人で十分やっていけるのだと、そう認識してくれる。いつからか、笑うことが特技のようになっていた。
ツォンもまた、皆のように安心の表情を見せてくれると思った。
だが、彼の放った言葉は予想に反するものだった。

「笑わなくていい」
ツォンは言った。
彼は厳しい眼でわたしを見つめている。
「笑わなくていいんだ」
彼はもう一度言った。先ほどの厳しい言い方ではなく、今度は優しさに満ち溢れた口調だった。
過去の記憶が呼び起こされる。黒髪で青い瞳をもった彼と、育ての母もいつかそのようなことを言った。
わたしは彼の真意が分からなかった。笑わなくてもいいという言葉は、どういった意味で言っているのだろう。
古代種の神殿で、わたしは声を聞いた。わたしが祈りをささげないと、セフィロスの暴走は止められない。
それはみんなを救うことにつながる。わたしは行かなくちゃいけなかった。
何度も涙を流したわ。でも、誰にもそれは教えなかった。
だって、仕方がないことなんだもの。わたしがいくら涙を流し、誰かに相談したところで何も変わらない。
「悲しむ必要なんて、ないの。だって、自分で選んだ道なんだから」
わたしはわたしの行動を合理化しようと言葉を並べた。

いつもこうやって生きてきた。
わたしがみんなから嫌われるのは古代種だから。みんなに特別視されるのは古代種だから。
古代種は世界にわたしだけ、古代種は約束の地に導く。だから神羅はわたしがほしいの。
全部の理由を考えて、諦めて生きてきた。
だってそれは、自分の努力ではどうにもできないことだったから。
仕方のないことだったから。

「生きたかっただろう」
ツォンが唐突に言った。
「生きたかっただろう、エアリス。世界を見て回って、やり残したこともたくさんあっただろう?」
言い聞かせるような言葉だった。
わたしはその言葉に体をこわばらせた。
この人は何を言っているの。だって、仕方がないじゃない。こうなるしかなかった。すべてをあきらめるしかなかった。
「君は外を見て、生きたいと思ったはずだ」
「やめて」
蚊の鳴くような声でわたしは言った。ツォンはお構いなしに、言葉を続ける。
「エアリス、君は若い。やり残したことが沢山あっただろう。それなのに――」
「あなたに何がわかるっていうのよ!」
ツォンの言葉を遮って、わたしは声を張り上げた。
「あなたに、わたしの何が分かるっていうの?……やり残したことが沢山あっただろう?あなたにそれを言う権利があるの?
あなたたちのせいで、わたしは多くのことを諦めてきた。それなのに、あなたがそれを言うの?」
わたしの言葉に、ツォンは口を閉じた。自分が責められると口を閉ざす彼に、わたしは苛立ちを隠せない。
「それでも、やれることはすべてやったわ。思い残すことなんて何もないから、自ら進んでここに来たの。みんなは古代種を求めた。
だから最後まで、古代種としての道を選んだの!」
頭に血が昇る。頭がずきずきして、胸もまた痛んだ。
「ツォン、あなたもその中の一人よ。あなたは、わたしじゃない、古代種を求めてた。だから、こうしたわ。お望み通り、古代種としての務めを果たしたのよ!」
こんなことを言いたいわけじゃなかった。
だが、ツォンの言葉はわたしの胸に深く突き刺さった。
怒りにまかせて言葉を発せれば、この感情はそれによって埋もれると思った。
それは認めてはいけないことだった。それを認めると、今までの諦めのすべてが意味をなくしてしまう。

錯乱して、自分が自分でなくなっていくような気持ちになった。
ツォンがわたしの腕を力強く引っ張って、わたしを抱きしめたことにすぐ気付かなかったのはそのせいだ。
わたしの腕をつかんでいるツォンの手は熱かった。
きっと冷たいだろうと思っていたから、それは意外なものだった。
「やめて!」
悲鳴に近い声をあげて、彼の腕から脱しようとするがそれは叶わなかった。
わたしがもがけばもがくほど、彼の力は強くなった。しばらくそうして、諦めたわたしは彼の胸に頭を押し付けた。
「なんであなたがこんなことをするの?なぜ、あなたがそれを言うのよ」
ツォンは何も言わなかった。何も言わずに、わたしを抱きしめるだけだ。
幼いころから知っているツォンは、とても大きかった。
いつの間にこんなに大きくなっていたのだろう。なぜ、彼はわたしを怒らせるのがこんなにも上手なのだろう。

「嫌い。大嫌いよ、ツォン」
放った言葉は、彼の胸に吸い込まれて消えた。
彼の腕には先ほどまでの力強さはなく、わたしが苦しいと感じることはなかった。
頬を涙が伝うのがわかった。どうしようもなくて、わたしは自分の感情のままに涙を流した。

笑おうと努力した頬と口元が痛む。
自分の感情ではなく、無理して笑っていたからだと今更気づいた。

眼を閉じると、先ほど見た夢が目の前に広がった。
そこには笑うみんなの姿が見えた。
クラウドに「乗せてね」と一方的な約束を交わしたあの飛空挺に乗って、ミッドガルへ向かう。
スラム街にプレートはない。わたしは走って家に向かう。
ドアを開けたら、お母さんがいつものように笑ってわたしを迎え入れてくれる。
「ただいま」
わたしはお母さんに言って、お母さんは「おかえり」と言ってくれる。
そしてお母さんはわたしの好きなビスケットを焼いてくれるの。みんなを家に招いて、パーティーをするわ。
わたしはあの頃のように教会に行き、花を育て、それをスラム街で売る。
日差しが降り注ぐスラム街は生まれ変わったように明るい。道行く人々に花を差し出し、わたしは振り返る。
そこには黒いスーツを着たツォンが立っている。
相変わらずの仏頂面で、世界中の憂鬱が自分ひとりに降り注いだような表情でそこにいる。
わたしは彼に近づいて、一本の花を差し出す。きっと彼は、仏頂面のままそれを受取るだろう。
金を払おうと財布に伸ばす手を押さえて、わたしは首を横に振る。
降りそそぐ光にほだされて、彼はきっと変わる。そのうち、笑顔を見せてくれる。

夢の内容を思い出して、わたしは顔をあげた。そこには変わらぬツォンがいて、彼はわたしの目尻を指で拭った。
彼の指がわたしの肌に触れた瞬間、気付いた。
死しても尚、彼はスラム街にいた頃のようにわたしを見つめ、ここにいた。
この延々と続く白い世界に、彼はたった一人でわたしを待っていたのだ。
彼はわずかに口元を綻ばせた。わたしの笑顔とは違う、自然な表情だった。
再度わたしは目を閉じて、瞼裏の暗闇が眩しい白に変わっていくのを感じた。


甘い飴玉のような甘美な世界。
わたしが夢見た世界に、彼はいたのだ。







2008/11/2 meri.





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