エメラルドグリーンの瞳を細め、つま先から頭、頭からつま先へと見回してから、エアリスはゆっくりと口を開いた。
「また、来たの?」
「仕事だ」
花篭を片手に、エアリスは眉根を寄せた。
昼だというのに光の届かぬスラムは暗い。
そこらじゅうに捨ててあるゴミにより、異臭は絶えず鼻をつくが、今はそれにも慣れた。
ここで毎日花を売っているのだから当たり前だ。そんなエアリスをツォンは毎日のように見に来る。
違う、見にくるんじゃない。わたしを監視しているんだ。

いつもツォンは物陰からわたしを見ている。
黒いスーツに身を包み、暗闇に溶け込みわたしを見張っている。
気付かない振りしてたけど、本当は気付いてたのよ、と言いたくなるが、それは言わないでおこう。
意外と男はナイーブなんだと、彼が昔教えてくれたから。
だからいつも気付かない振りをしていたし、わたしの前に現れたら驚いたふりもしていた。
けど、今回はわたしからツォンに歩み寄った。自然を装って、あら、ゴミ箱の後ろにいたの?変な人、と。
いつものポーカーフェイスを気取っているけど、彼はきっとまいったという気持ちでいっぱいだと思う。
全体の雰囲気から伝わるのだ。わたしが小さい頃から一緒にいた付き合いだもの、手に取るように分かる。
それは決してうれしいものではないけど、彼がわたしの掌でころころ転がっている姿を想像すれば、可愛いなと笑ってしまう。
「何を笑っている」
いつも刻まれている眉間の皺を、より一層深く刻んでツォンが尋ねる。
「べつに」
冷たい口調で答え、ふと、男はナイーブなんだという彼の言葉を思い出した。
そう、もっと優しく言わなくちゃだめなんだ。
だけど、わたしの口からついて出た言葉は思いと反するものだった。

「ストーカー、っていうのよ」
はっとしたが、わたしを止めるものはなにもない。
そもそも、本当にストーカーじゃないか。
物陰に隠れているツォンを見つけて、足早に去る人もいる。
わたしに声をかける男の人に無言で睨みをきかせたこともあったし、ツォンのせいで商売上がったりだ。
だいたい、わたしはスラム育ちなんだから危険なことには慣れてる。
頼れるロッドもあるし、特別なマテリアだって持ってる。
古代種だからと彼は言うだろうが、そんなのわたしにとっては迷惑なだけだ。

「こそこそこそこそ、人の周りをかぎまわって。ね、立派なストーカーじゃない?ツォン」

明るい声でそう言って、寒気がすると大げさに腕をさすってみせた。
ツォンは変わらぬ表情だ。その表情に、この人は感情があるのかという思いまで沸いてくる。
「だいたい、あなたが来るとお花が売れないの。分かる?」
わたしの質問に、ツォンは答えない。ただひたすらに、わたしの腕にあるかごを見ているだけだ。
「……何ギルつまれても、売らないわよ」
身構えて言えば、ツォンはそこで初めて表情を変えた。バカにする笑みだ。
「まだ何も言っていない」
鼻で笑いながらの言葉だった。それに再度む、とする。
せっかくわたしから話しかけてあげたのに!という無茶苦茶な考えが頭をいっぱいにした。
いつものように無視しておけばよかった。もう話しかけない。ツォンなんかもう知らない。

「だったらもう、ずーっと黙っていたら?きっと石になっちゃうんだから。寂しくて寂しくて、何も感じない石になっちゃうのよ」
捨て台詞を吐いて、踵を返しスラムの街を進んだ。
ツォンに話しかけた自分を、酷く後悔した。






しとしとと、外では雨が降っていた。
遠くからは微かに雷の音が聞こえる。
「ツォン」
蚊の鳴くような小さな声で、誰に言うわけでもなくベッドに横たわりエアリスは一人呟いた。
誰かが答えてくれるわけでもない。目の前にあるのは薄汚れた天井だ。
袋に入った氷水はじんじんと熱を持つ頬を優しく解してくれる。
ドアを横目で見て、また天井に目線を移す。宿屋は怖いほどしんと静まり返っていて、ことの重大さをそれが物語っている。

古代種の神殿が黒マテリアになった。
ケット・シーは犠牲となり、突如現れたセフィロスによって、クラウドは自分を失ってしまった。
セフィロスに黒マテリアを渡し、俺は誰だと迫るクラウド。拳を振り上げ、わたしを殴り続けるクラウド。
レッド]Vが仲裁に入っても彼はやめようとはしなかった。
ただただ、幼い子供のように尋ね、錯乱し、不安でいっぱいになるクラウド。
彼が泣いているような気がした。子供の姿で、こんなことはしたくないんだと泣いているような気がした。

クラウドは悪くない、だいじょぶ、クラウド――

わたしの言葉はクラウドに届いただろうか?
彼を抱きしめてやりたいと思った。
クラウドの姿は不思議とツォンと重なって、無性に泣きたくなって、ああ、わたしはツォンを抱きしめてやりたかったのだと理解した。
暗闇の中、ツォンはいつもわたしを見ていた。わたしの全てを見透かしたその目が大嫌いだった。
酷い言葉を放ったのは、数年ほど前のことだ。
今よりも幼いわたしはツォンの全てが大嫌いで、だけどその日は不思議と話しかけたくなった。
だけど、やっぱりツォンはあの目をした。わたしの全てを知っている、という目。

――寂しくて寂しくて、何も感じない石になっちゃうのよ。

古代種の神殿への入り口で、柱にもたれかかっていたツォン。
彼は助かっただろうか。仲間が助けにきただろうか?
知る術はない。もう物陰からわたしを見る彼に会うことはない。
彼は古代種の神殿と共に、黒マテリアとなってしまった。冷たい石になってしまった。
あの日放った言葉に、こうして苦しめられている。

「ツォン」

彼の言葉を期待して名前を呼ぶ。ツォンの影はどこにもない。
ただわたしの胸に大きな足跡を残して、彼は冷たい石となった。
さようなら、小さく呟いてそっと瞼を瞑れば、あの寂しげな瞳が瞼の裏に浮かび上がった。



もっと素直に生きられたらよかったね、あなたも、わたしも。








2006/6/11 meri.









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