「私達、きっとろくな死に方しないわね」
ある日、ジェシーは言った。ビックスは魔光炉爆破を目的とした時限装置付きの爆弾を作っていたから、ジェシーの顔は見えなかった。
埃にまみれた小さな小屋だ。ジェシーは身を乗り出して、ビックスの手元を観察している。
「バレットからまた怒鳴られるぞ」
「そうだね」
ジェシーの自嘲気味な笑いを含んだその言い方は、埃にまみれた小屋によく馴染む声色だった。
以前、ジェシーが同じようなことをバレットの前で話した。
その時バレットは激昂し、セブンズヘブンを飛び出した。アバランチとしての覚悟が足りないと言いたいのを、バレットは言葉で言い表せずに飛び出したのだ。
「アバランチとして活動している以上、死に方なんて気にしてられないだろう。そんな気持ちだったら――」
「わかってる」
ビックスの言葉を遮って、ジェシーが言う。ジェシーは唇を固く結んでビックスを見ていた。
「わかってるわ、ビックス。でもね、考えてしまうのよ。とくに、こんな夜は」
ジェシーはそう言って、それから一言も話さなかった。壱番魔光炉の暗号を手に入れた夜だった。この暗号のために、多くの仲間が死んだ。

ジェシーはよく笑う女だ。
何が楽しいのかわからないが、よく笑う。
たとえば偽装IDカードを作っているときは不気味だった。ひとり暗い部屋で、背を丸めて電極と戦っているジェシーを目撃した。
顔に仮面をつけて火花を散らしていたが、垣間見えた目元が笑っているのをビックスは見たのだ。
いったい何が楽しいのかと聞くと、「そんなことビックスにはわからないわ」と言った。
「ただ、あの電極の並びを見ているとね。わくわくするの」
「ふうん」
「ほら、興味ないでしょ?」
口元に手を当てて、くすくすと笑う。
「俺、先に戻っとくわ」
そう言うと、ジェシーがまたね、というのが聞こえた。ドアノブをひねると同時に、ジェシーが奏でる機械音が背中越しに聞こえた。

セブンズヘブンにいくと、いつもの顔がそこにはあった。
「あっ、ビックス!」
店の奥からティファが現れる。美しい黒髪を有したティファは、両手に酒瓶を持っていた。
「両手に酒瓶かよ」
「私が飲むんじゃないのよ、お店のものに決まってるじゃない」
失礼だ、というようにティファはむくれっ面をして見せて、カウンターに入る。
酒瓶を棚に置くティファからカウンターに視線をうつすと、見慣れない客がいることに気付いた。
新規の客だろうか。金髪の男だ。ビックスに背中を向けているので顔は見えないが、鍛え上げられた体であるのがすぐにわかる。
驚いたのは、椅子に立てかけられた大剣だった。その大剣は男の武器なのだろう。
はたしてこれを使いこなせるのか。使いこなせるとすれば、この男はいったい何者なのか。

ビックスがそれらのことを考えていると、ビックスの視線に気づいたティファが「あのね」と声を上げた。
「この人、クラウドっていうの。次の作戦に参加するのよ」
「え?」
ティファの言葉が理解できずに、ビックスは素っ頓狂な声を上げてしまった。
その反応は想定内のことだったのか、ティファは男の素姓について説明を始めた。

男の名前はクラウドだということ。
ティファの幼馴染で、ミッドガルの駅で最近再会したということ。
元ソルジャーだということ。

あらかじめ準備していた説明だったのだろう。ティファはすらすらとその説明を終えると「きっと力になってくれると思うの」と最後に付け加えた。
ビックスは素直にうなずくことはできなかった。
ティファを疑うわけではないが、はたしてどこまで信じてよいものだろうか。
幼馴染ということはともかく、こいつがソルジャーだったということはどうだろう。
その大剣が武器だとしたら、ソルジャーということも少しは納得がいく。
しかし、ビックスはその姿を見たわけではない。もしかしたら、自身を誇示するためのただの飾りだという可能性だってあるのだ。

「ティファ、そんな説明はいらない。俺はどうせすぐにいなくなる」

クラウドの声に、ビックスは驚いた。声のトーンが、意外に高かったからだ。
まるで少年のような声だった。声変わりを完全に終えていないような。
そんな声で発せられたクラウドの言葉に、ビックスは苛立ちを覚えた。
挨拶もせず、何だその偉そうな言葉は。一体こいつはどういうつもりでここにいるんだ。
クラウドの隣に、わざと大きな音を立ててビックスは座った。
顔を覗き込むと、クラウドは思いのほか美しい顔立ちをしていた。青い瞳は、うわさでしか聞いたことのないソルジャーの証しだった。
「大層な言い方だな」
「……次の作戦が終わったら、金だけもらって俺はいなくなる。バレットにも了承済みだ」
早速呼び捨てかよ。バレットとどれだけ話したんだよお前は。
「ごめんね、ビックス。クラウド、つかれてるのよ」
イライラとしたビックスを察したのか、ティファが優しく声をかける。
クラウドは澄ました顔で酒を口に運んでいた。そんな何気ない行動が一枚の絵のようで、それが尚ビックスの胸を荒立たせた。
「バレットやティファは賛成かもしれないけど、俺はどうかと思うぜ」
そんな捨て台詞を吐いて、ビックスは荒い動作でセブンズヘブンから出て行った。
スラム街は寒かった。一杯くらい酒を飲んでくればよかったとビックスは思い、足元に転がっている空き缶を思いっきり蹴った。



「クラウドさんって、カッコいいっすよね」
ウェッジの言葉に、ビックスはうんざりした。
ウェッジは先ほどからクラウドばかり見ている。そして必ず口にするのだ。クラウドさんはカッコいいっすよね、と。
お前が話せる言葉はそれしかないのかよ、とビックスは胸の中で悪態をつく。
実際口に出してしまっては、負けを認めているような気がしたから黙っていた。
一体何に負けてるんだよ、とビックスは自身の考えに頭をひねる。
クラウドが来てから、調子が狂う毎日だ。

セブンズヘブンのカウンターの隅がクラウドの特等席になっていた。
ティファはクラウドと話すのが楽しいようで、ビックスが見る限りクラウドとばかり話している。
日課となっているセブンズヘブンでの晩酌が、最近は楽しめなくなっている。
だからといってどこかへ行くわけでもなく、ビックスの足はこうしてセブンズヘブンに向いているのだ。

「やっぱり、ソルジャーって違うんすね」
「なにがだよ」
「いや……具体的には分からないっすけど……」
ビックスのぶっきらぼうな言葉に、ウェッジはたどたどしく答えた。そんなにクラウドのことが好きなら、もっと自信を持って言えばいいだろう。
クラウドだけでなく、ウェッジの態度にも苛立つ。
テーブルの下でビックスは足を揺すり、横目でクラウドの背中を見た。
「だいたい、本当にソルジャーだったのかも分からないじゃないか」
クラウドに聞こえるような大声でビックスは言った。
ウェッジは「声がでかいっす!」と小声で制し、ティファは小さくため息をついてビックスを見た。
しかし、クラウドは微動だにせずグラスを口に運んでいる。
先ほどから一向に減る様子を見せない、グラスに満たされた酒をいつになったら飲み干すのだろう。

本当は下戸なんじゃないか、あいつ。
自分をかっこよく見せるために、酒を無理して飲んでるんじゃないか。
そうだ、だからあんな大剣を持ち歩いているんだろう。そうして、皆に自分がいかに凄いかをアピールしているのだ。

ジョッキに注がれたビールを一気に飲み干し、大きく息を吸う。
そう考えれば考えるほど、クラウドに対する嫌悪感がビックスのなかで大きく膨れる。
「こら、飲みすぎ」
ビックスの頭を本で叩いて、ジェシーが現れた。ジェシーはビックスの隣に座り、テーブルの上に本を置く。
難しいタイトルの本だった。さっきから部屋に籠っていると思っていたら、これを読みふけっていたのか。
「俺の好きにさせろよ」
「ビックスは悪酔いするでしょう。もういい加減やめといたら」
ジェシーは言うと、ビックスのビールジョッキを取り上げてカウンターへ持って行った。
ティファにジョッキを渡し、「あまりビックスに酒を飲ませないほうがいいわよ」と言って二人して笑っている。
厭味ったらしい女だ。
いつものように酒を飲もうと手を伸ばし、ジェシーがビールジョッキを持って行ったことを思い出しテーブルの上に手を置く。
そんなビックスの行動を見てウェッジが笑った。


カウンターの隅がクラウドの特等席なら、埃にまみれた小屋の一角がジェシーの特等席だった。
そこに行くと必ずジェシーはいた。ジェシーは常にケーブル、電極といった電気類とその道具に囲まれて存在した。
「最近よく来るね。前はあんまり来なかったのに」
テーブルに置かれた機械に何やら取り込みながら、ジェシーは言った。
ビックスは言葉にどきりとした。
以前のビックスはここにはあまり近づかなかった。陰気で湿った小屋なんて、中にいるだけで気が滅入ってしまうというのが理由だった。
だが、いまやビックスの居場所はどこにもない。消去法でいくと、最後に辿り着くのはここだった。
「そんなんじゃない。たまたまだよ」
「なによそれ」
ジェシーは笑い交じりに言うと、大きく伸びをした。
そして椅子を回転し、ビックスを振り返る。片手にはドライバーを持ち、顔はニヤニヤとほくそ笑んでいる。

「なんだよ」
ジェシーのその笑みを、ビックスは知っていた。
それは人の弱みを握ったときのジェシーの笑みだった。長年の付き合いであるビックスはジェシーに関することは何でも知っているのだ。
「ビックスは、クラウドがきたから調子が狂うんでしょう」
図星の言葉に、ビックスは一瞬ひるんだが慌てて首を横に振る。
しかし、その行動は逆効果だったようでジェシーは手を叩いて喜んだ。
「やっぱり!ビックスはすぐに顔に出るから分かるのよ」
「違う!そんなこと断じてない。たしかにクラウドは嫌いだけど」
「ほら、当たってるじゃない」
私は何でも知っているのよ、という風にジェシーはビックスを見つめた。茶色の瞳に見つめられると、すべてを見透かされているようで落ち着かなくなる。
「クラウドが来てからティファもバレットもウェッジも、クラウドクラウドクラウドクラウドだもんねえ」
「クラウド」という名前をこれでもかというほどにジェシーは連呼した。

「でも、クラウドはあんなんだけど……実際のところ悪い人じゃないと思うよ」
「……そんなこと言えるほど、お前あいつと親しいのかよ」
ビックスの子供のような言い方に、ジェシーはほほ笑みながら「ううん」と言った。
「数回しか話したことないけど、そんな気がするの。彼、悪い人じゃないよ」
「どうしてわかるんだよ。いいやつの顔をした悪人なんて、どこにだっているぞ。もしかしたら詐欺師かもしれない。神羅のまわし者かもしれないだろう」
そこで初めて、ジェシーは笑顔を解いてきょとんとした顔をした。
ビックスはそんなジェシーに僅かながら戸惑った。ジェシーがそんな顔をするなんて、予想していなかったからだ。
「ビックスがそこまで人のこと言うなんて、珍しいね」
びっくりした、とジェシーは言った。
確かに、ビックスがここまで人を疑うのは珍しいことだった。いつもは「何とかなるさ」が口癖で、逆に皆から心配されるほどの性格だった。

なぜ、こんなにもクラウドのことを毛嫌いしているのだろう?
以前はアバランチで楽しくやっていた。ティファは皆のアイドル的存在で、ウェッジは自分を慕ってくれた。
それだというのに、クラウドが来てからというものおかしくなった。
ティファはクラウドに夢中だし、ウェッジはクラウドさんカッコいいっすね、が口癖となった。
だからか?
だから、俺はクラウドを毛嫌いしているのだろうか?
自分を慕ってくれる人間がいないから、誰もがクラウドに夢中になるから。

あほらしい、とビックスは思った。ひどく冷静にそれを思った。まるで子供ではないか。
だが、あほらしいと思う一方で、その理由を完全に否定することはできなかった。
毛嫌いする理由に、その「あほらしい」ことは少なからず含まれていたからだ。

「かっこ悪いなあ、俺」
ビックスは言った。その言葉に、ジェシーが僅かに首をかしげる。
「まるでクラウドに嫉妬している男じゃないか」
あはは、と笑うと、ジェシーも一緒に笑った。そのジェシーの笑いが、ビックスの心を僅かながら救った。
一緒に笑ってくれるというのがこんなにも心地よいことだなんて、ビックスは知らなかった。
「仲良くしろ、とはいわないけど。ただ、毛嫌いするのもどうかと思うわ」
「ビックスは素直じゃないのよ。もっと素直に生きなさい」と、まるで母親のように言った。
頭をぽりぽり掻いて、ビックスはそれもそうかな、と思った。


ビックスが自らクラウドに声をかけると、ティファが目を見開いてそれを見ていた。
そして次に、優しくほほ笑んだ。ビックスの変化を素直に喜んでいるようだった。
「おい、クラウド……俺の名前は……」
「すぐにやめる俺にとって、名前はどうでもいい」
その言葉に、ビックスは頭に血が昇るのを感じたが大きく息を吐いてそれを堪えた。
「ああ、そうか。お前がそれならそれでいいよ。とにかく、俺の名前はビックスだ」
よろしく、と手を差し出す。
クラウドが握手をしてくれるだなんて思わなかったが、一応形式だけでもやっておいたほうが良いだろうと思ったのだ。

案の定、クラウドはそっぽを向いている。そこにビックスがいないかのような振る舞いだ。
ビックスはにやりと笑った。差し出した手を、クラウドの頭に置いて両手を使って髪型をぐしゃぐしゃにかき撫でる。
セットされていた髪は、すぐに崩れた。先ほどまでそっぽを向いていたクラウドがビックスを見上げた。
今の状況が理解できないという顔だった。いつもの冷静沈着なクラウドとは似ても似つかない顔だ。
「なにを……」
「お前のこの頭がずっと気になってたんだよ!」
クラウドのそんな顔を、ビックスは初めて見た。
そして、クラウドに勝利を覚えた。仮面のように貼り付いた「かっこいいクラウド」を俺は崩してやった。
ビックスは満足げに笑いながらティファに酒を注文し、いつもの席で酒を飲んだ。
こんなに満足感に満ちたのは久しぶりだった。なんだ、クラウドも人間なんじゃないか。そんなことを考えながら飲む酒は、最高に旨かった。


「えっ、あの髪型を崩したの?」
ジェシーはビックスの話に目を見開いて驚いた。ビックスはふふんと鼻を鳴らして、大きくうなずいた。
「こう、ガーッ!と崩してやった。あいつの顔ときたら愉快だったぜ」
けたけたと笑い、机に転がっている機器を指先でいじる。ここに置いてある機械の名前をビックスは知らないが、ジェシーはいつも大切に取り扱っている。
驚いた、とジェシーはつぶやいた。
「ビックスがそんなことするなんて、想像してなかったわ」
ため息交じりに言った。それは呆れた、というため息ではなく、どこかホッとしたような溜息だった。
「俺は素直にやったまでだ」
「へえ」
いい兆候だね、と言いながらジェシーはビックスから机に向き直る。
もうちょっとジェシーと話していたかったビックスは少し残念な気持ちになった。もっとクラウドのことを詳しく聞いてほしいと思った。
武勇伝を聞いてほしいと思うなんて、俺はまさに子供だな。
ビックスは1人にやにやと笑った。俺は子供でいいや、と思った。

「私も、クラウドの顔見たかったなあ」

ジェシーの言葉に、ビックスの顔から笑みが消えた。
慌ててジェシーの顔を見ると、ジェシーの瞳はとろんと蕩けていた。今、こいつはクラウドのことを思い浮かべているのか。
ビックスの頭が警戒音を発している。このジェシーの瞳を、ビックスは知っていた。
恋だ。
こいつ、よりにもよってあいつに惚れやがった。


確かに、思い返してみればここ最近のジェシーはおかしかった。
いつもは無造作に髪を結っていたのが、クラウドがきてからちゃんと櫛を使い、鏡を見ながら結っていた。
ビックスは気分が悪くなるのを感じた。
そんなジェシーはジェシーでないような気がしたし、そんなジェシーを見たくないとさえ思った。
だから、ビックスは意図的にクラウドと同じ空間にいるジェシーを見ないようにした。
極力顔をそむけ、視界に入らないようにするのだ。しかし、そうすればするほどジェシーとクラウドに全神経が集中するのが分かった。
ジェシーとクラウドが話そうものなら最悪だった。
いつもと声のトーンが違うジェシー、コロコロと楽しそうに笑う声に耳をふさぎたくなる。

ビックスとジェシーの付き合いは長い。
ビックスはこれまで、ジェシーに対して「女」を感じたことなど一度もなかった。
ジェシーはジェシーで、ビックスはビックスだった。そこに性別なんて存在しなかった。
だからこそうまくやってこれたのだ。ジェシーには男に話すような下品なことだって言えた。遠慮せずになんだって言えた。
だから、ジェシーの女の部分を見たら全てが崩壊するような気がしたのだ。
ビックスは焦ったが、焦ったところでどうしようもない事だというのは十分に分かっていた。
ジェシーの気持ちを止めることなんて誰にもできないことなのだ。
ビックスができることといえば、まるで逃げるようにジェシーから遠ざかることだった。


「私、何かした?」
ある日、ジェシーがビックスを呼び出し尋ねた。
「最近、ビックス様子がおかしいわ。ねえ、私なにか気に障る事でもした?」
何も答えないビックスに、ジェシーが再度尋ねる。
怒っている風ではなかった。心の底から答えを知りたいと願っている顔だった。
ビックスがあの小屋に足を運ぶ回数もめっきり減っていて、ジェシーが疑問に思うのも仕方がないことだった。
「……別に、なにも」
「だったら普通にしてよ」
普通。言葉を反芻して、ビックスは頭を抱えたくなる。
普通ってなんだった?普通に話すって、俺ってどうやってジェシーに話しかけていたっけ?
思い出そうとするが、考えがまとまらない。まさかジェシーに「普通ってなんですか?」と聞けるわけもなかった。
「俺はいつだって普通にジェシーと話してるだろ」
ビックスのウソに、ジェシーは黙った。
何の反応もせずに、じっとビックスを見つめている。
正面から見つめられることにビックスは居心地が悪くなるのを感じた。今にもここから走って逃げだしたくなった。
「とにかく、お前もおかしなことばっかり言ってないでちゃんと仕事しろよ」
目をそらしてそれを言うと、ビックスは逃げるようにその場を後にした。
ジェシーと元通りになれるのは、クラウドがいなくなってからだ。
次の作戦が終われば全てが解決する。クラウドがアバランチからいなくなってくれれば。


後日、作戦は決行された。しかし思わぬアクシデントが発生した。
クラウドが行方不明になったというのだ。ティファは目に見えて狼狽し、バレットは肩をがっくりと落としていた。
ティファはクラウドの生存を信じていた。クラウドは悪運が強いとか、ソルジャーは特殊な訓練を受けているんだから、ということを切々と語った。
まるで自分に言い聞かせるような言葉に、アバランチの誰も口をはさめなかった。
翌朝、ティファは1人旅立った。残された一枚の紙には、クラウドを探しに行くことと迷惑をかけて申し訳ないという謝罪の言葉があった。
ティファのいないセブンズヘブンは薄暗い。こんなにも照明は暗かっただろうか。ビックスは照明を見上げた。
磨きあげられた照明には、埃ひとつない。ティファは照明もちゃんと掃除していたのだ。こうして天井を見上げなければ分からない照明を。
ティファがいるだけでこんなにも違うだなんて知らなかった。
ビックスにできることといえば、ティファとクラウドの無事を祈ることだけだった。
バレットがセブンズヘブンのドアをあわただしく開けたのは、時計の針が朝方を指したころだった。

「神羅のやつら、七番街の支柱を倒そうとしてやがる!」
バレットは顔を真っ青にしてそれだけ言った。
ビックスはバレットの言っていることの意味が分からなかった。
隣にいたジェシーもウェッジも、突然の言葉に動けないでいる。
「アバランチが七番街に潜んでいることを奴らは突き止めたらしい。そして……七番街ごと……」
バレットはそこまで言うと、肩をわなわなと震わせて怒りを露わにした。
「ちくしょう!あいつら狂ってやがる!おい、お前ら行くぞ!」
バレットは言うと、店の奥にある隠し部屋へ行きあわただしく武器を取り始めた。
ビックスも後に続き、目に付いた武器を装備する。冷静に武器を装備しながらも、頭はゴチャゴチャとまとまらなかった。

一体神羅はなにを考えているんだ?
七番街の支柱が爆破されたらどうなるかをビックスは知っていた。それはほかのアバランチのメンバーも同じことだ。
横目でジェシーを見ると、彼女もまた先ほどのバレットと同じように真っ青な顔をしていた。
一体何人死ぬのだろう?支柱が爆破されたら、このセブンズヘブンも、アジトも全て瓦礫と化してしまう。
神羅の奴ら、たった数人の組織のために街ごと爆破させるなんて……。
にわかに信じられないことだった。
だが、信じられないことを神羅は平気な顔をして行うだろうということも知っていた。

明け方のスラム街を駆け抜ける。
冷たい空気が頬を刺す。吐く息が白い。
目に映る全てがいつもと変わらない風景だった。朝食の準備をする者、軒先で体操を行なう者、犬に餌をやる者。
プレートを支える支柱が崩れてしまえば、彼らは死んでしまう。
そのことに、ビックスは今更ながらぞっとした。
今の俺は、さっきのジェシーのように真っ青になっているのかもしれない。
風を切って走りながら、スラム街での思い出があふれてくる。こんな薄汚れた街、いつか飛び出してやると思っていた。
だが、ここは紛れもないビックスの故郷だった。
この風景が永遠に失われるかもしれないと想像するだけで血の気が引くほどに、ここはビックスの愛しい故郷だった。

プレート支柱に辿り着くと、そこには数人の男たちが立っていた。
フェンス越しに支柱を見上げている。
「ああ、バレット」
男の中に、バレットの知り合いがいた。男は上気した顔でバレットに話す。
「さっき、神羅の奴らが上って行った。あと、応援を呼ぶとも話していたぞ」
男の言葉に、バレットはフェンスをよじ登り始めた。
「お前らは逃げろ。噂が本当だったら、ここは危ない」
バレットは男たちに言った。だが、男たちは首を横に振った。
「ここは俺たちの故郷だ。なあに、危なくなったら逃げるさ」
朗らかな笑顔だった。死の危険がすぐそこにあるというのに、なぜこの男は笑っていられるのだろうかとビックスは思う。
ビックスとウェッジ、ジェシーもフェンスを昇る。支柱に向かう彼らを止める者は誰もいなかった。
むしろ「気をつけて行って来い」と声をかけ、アイテムをフェンス越しに渡す者さえいた。

「いいか、俺が先に上へ行く。ウェッジとジェシーは俺の後についてこい。ビックスは下で敵を食い止めろ」
バレットの命令に、皆うなずいた。
武器を持つ手は震えていない。アバランチとして行動し、命の危険を感じることはいくらだってあった。
これが今生の別れだと思ったことも何度もあった。
だが、そのたびにビックス達は生き残った。今回もそうであってほしいとビックスは祈ったし、それは他の者たちも同じだった。
「危なくなったら、逃げろ」
バレットは言った。バレットからそんな言葉が飛び出すとは思っていたなったビックス達は、ハッと顔を上げた。
そこにはいつにもなく真面目な顔をしたバレットの顔があった。
「いいな、誰も死ぬんじゃない。危なくなったら逃げるんだ」
いつものバレットなら、そんなことを言わない。ここまでバレットを思わせる何かが、今回はあるのだ。
支柱を見上げる。真下から見上げると、永遠に続くように思えるこの支柱を昇りきって、そして頂上についたら何か変わるのだろうか。
俺たちの故郷である七番街を救うことになるのだろうか?

「……死なないわ。またセブンズヘブンで、ティファのおいしいご飯を食べなくちゃいけないもの」
ね、ウェッジ。とジェシーが言う。
ウェッジが「うん」と大きくうなずいた。
ジェシーの表情は、先ほどまで顔を真っ青にしていた者とは思えないほどの、すがすがしい笑顔だった。
希望に満ち溢れた人間のような表情に、ビックスは心が洗われるような気持ちになった。
ジェシーが「死なない」と言えば、本当に死なないのだと心の底から信じられた。
「行くぞ!」
バレットの声を合図に、皆立ち上がりそれぞれ動き出す。

カンカンカンと金属音を立てながら、バレット達が階段を昇っていく音が聞こえた。
あの音が永遠に聞こえればいい、とビックスは願った。
そうなるために、俺はここで敵を食い止めなくてはいけない。
銃の扱いには自信がある。銃身を撫でて、頼む、と願いをかける。
フェンスの向こうから人の声が聞こえてビックスは顔を上げた。
武装した兵士がビックスを目がけて走ってくるのが見えた。彼らのほかに、向かいのビルの窓からビックスを狙っている兵を視認した。
ビックスは銃を構える。久しぶりに引く引き金に、心が躍るのを感じた。

神羅兵を1人1人、ビックスは急所を逃さず正確に狙撃した。
その腕は確かなものだった。フェンス越しの野次馬は、もしかしたらビックスが全ての兵士を食い止めるかもしれないと思ったほどだった。
しかし、時間が経てば経つほどに、ビックスは追い詰められていった。
いくら撃っても次から次へと現れる神羅兵と、減り続ける銃弾に焦りが出てくる。
物陰に隠れて装填している間に、敵はビックスとの間合いを詰めてくる。
「あいつら、どこから湧いて出てくるんだよ」
ビックスは毒づいた。絶え間なく浴びせられる銃弾に、ビックスは動けないでいた。
こうしている間にも、あいつらは支柱へ向かってきている。物陰に隠れている時間が長いほど、あいつらが支柱へ辿り着く時間が早まる。
しかし、今顔を出したら、間違いなくビックスは蜂の巣にされるだろう。
死を覚悟する瞬間がやってきたのだ。
ビックスは理解した。俺は死なないといつも思っていたが、今がその瞬間なのだ。
無駄死にでもいい。最後に花を咲かせられなくても――。


ジェシーのように、笑っていられたら。







どれほどの時間が経ったのであろうか。
ビックスは階段の踊り場で倒れていた。浅い息をしながら、広がる血を見つめていた。
兵士たちはビックスを超えて階上へと向かった。
銃声が聞こえる。タタンタタンと一定のリズムで繰り出される銃弾は、一体だれが放って、誰に当たっているのだろうか。
それを確認したくても、いまのビックスにはできなかった。できることと言えば、息をすることと自身の血だまりを見ることだけだった。

一度、大きな音がした。爆発音だ。階上から聞こえた音に、ビックスは眼球を動かしてそれを見ようとした。
頭を動かすことのできないビックスは必死に目だけをうごかし、そして、見た。
落ちるウェッジを見た。
あの巨体が、まるで人形のように落ち、そして地面にたたきつけられる様を二つの眼でみた。
落下音はビックスの耳に届かなかった。銃声によって聞こえなかったのか、距離によるものなのかはわからない。
だが、たとえ落下音が聞こえなかったとしてもウェッジは落ちたのだ。
一体どれくらい上から落ちてきたんだ?
なんでだ、なんでだ。敵はもう上に到達したのか?

「う……ああ……ウェ、ジ……!」
ビックスは目を大きく見開き、つぶやいた。
手を伸ばそうとしたが、体が動かない。今すぐにも走り出して、その体をかき抱いてやりたいのに思うように体が動かないのだ。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
大声で叫びたかった。なんでこんなことになった。誰がウェッジを落としやがった。
どれも言葉にならなかった。言葉にしようとしても、ビックスの口からその言葉は流れなかった。
そして、言葉を発せるほどの体力が残っていないのを自身わかっていた。

体中が痛い。どこを負傷しているのかわからない。
もしかしたらどこか骨折しているのかもしれない。
だが、その部位がわからないほどに体中が痛んだ。この痛みがなくなったころ、俺は死ぬのだろう。

地面に倒れているウェッジを、数人の人間が運び出しているのがぼやけながらも見えた。
そのとき、ウェッジの腕が僅かに動いたような気がした。
しかし、ウェッジの体はぐったりとしていて、動いたと思ったのはビックスの見間違いかもしれなかった。
運び出されたウェッジが視界から消えた。
ビックスはウェッジが倒れていた地点をぼんやりと見つめた。フェンスの向こうにいる人々も避難しなくてはならない。
彼らは一体いつになったら避難するのだろうか。
ここにいたら、皆死んでしまう。

「ビックス!」
どこからか声がして、ビックスは一度瞬きをした。銃声に紛れて確かに聞こえた声だった。
現れたのはティファとクラウドだった。2人は全身泥まみれでこちらに向かって走っている。
今、俺の名前を呼んだのは誰だろうか。

「ビックス!」
また声がした。誰か1人が呼んでいるわけではないのだった。2人が口々に名前を叫ぶようにして呼んでいるのだ。
あの仏頂面のクラウドが。カウンターの隅で一人酒を飲んでいたクラウドが、口を動かして「ビックス」と言っている。
それに、ビックスは思わず笑いそうになった。なんだ、お前。名前なんて覚えないって言っておきながら、俺の名前知ってるんじゃねえか。
「ああ、ビックス!どうしてこんな……」
ティファが今にも泣き出しそうな顔をしているのがわかった。
ティファのそんな顔を見るのは初めてだったから、ああ、ティファがあんな顔をしているっていうことは、俺は相当ヤバいんだろうな、と思う。
バックから水の入ったペットボトルを取り出し、ビックスの口元に近づけるがビックスはそれを首をねじって拒否した。
口の端からあふれ出る血をティファがタオルで拭き取る。いくら拭いとっても止まらない血に、ティファは涙を流していた。
どうして、どうしてと同じ言葉を壊れたレコードのように何度も繰り返し言う。

クラウドが膝をついてビックスを覗き込むと、ビックスはほほ笑んでクラウドを見上げた。
「……遅いぜ……元、ソル、ジャーさん」
かすれた声でそれを言うとクラウドは無表情でそれを見つめ、「遅れてすまない」と一言言った。
その言葉に、ビックスはまた笑った。

(クラウドさん、かっこいいっすね)
ウェッジの言葉が思い出された。あの時は認めなかったけど、確かにこいつはカッコいいな、ウェッジ。

ビックスは一人ひとりの顔を見て、首を横に振る。
「上に……バレ、トが……いる、んだ。そっちに、行って、や、って……くれ」
とぎれとぎれの言葉は、最後は声になっていなかった。
だが、それでも2人は理解した。
ティファはまるで痛みをこらえるようにうつむき、瞼を閉じていた。
クラウドは膝をついたまま、ビックスを見つめていた。そして一度、大きくうなずいた。

「ティファ、行こう」
クラウドの言葉に、ティファがビックスを覗き込む。
「ビックス!必ず帰ってくるからね!だから、だめだよ!絶対だめだからね!」
ティファは何度もそう言って、ビックスの頬を叩いたり、手を強く握り締めたりした。
何がだめなんだよ、とビックスは言おうとしたが、言葉にならなかった。
クラウドは無言でその場を去って行った。最後まで無愛想な奴だったなあ、と一人残されたビックスは思った。

階上からは絶え間なく銃声が聞こえてくる。
あの銃声がジェシーとバレットだったらいい。ジェシーとバレットだったら、あいつらが生きているっていうことだから。

(わたし達、きっとろくな死に方しないわね)
ジェシーが言っていたことばを思い出す。あいつは、このことを言っていたんだ。
まさに俺にお似合いな死に際だな、と自虐する。だが、不思議と死に対する恐怖はなかった。
あるのは仲間に会えるということだけだ。ウェッジ、あの世でセブンズヘブンのメシは食べられないかもしれないぞ。
そう言うと、ウェッジが「意地悪なこと言わないでくださいよお」と言うのだ。あのくしゃくしゃな笑顔で、「ビックスさんは意地悪なんっすからあ」と。

このとき、初めてビックスは涙を流した。
ウェッジが落ちてきたときは涙はでなかった。ウェッジの力なく横たわる姿をこの目で見るより、ウェッジが笑う顔を思い浮かべると不思議と涙が止まらなくなった。
七番街を守りたかった。この星を救うだなんて大層なご名目を掲げていたが、実際のところ俺は自分の周りの人々が笑って過ごせる日常を守りたかっただけだった。
それだというのに、ウェッジとジェシー、バレットを守ることができなかった。
自分の無力さが不甲斐ない。今はただ、ジェシーとバレットが生きていることをひたすら祈った。

クラウドたちは無事、ジェシーとバレットのところに辿り着いただろうか。
ろくな死に方をしないと言っていたが、ジェシー。お前はクラウドに会えてよかったな。

地響きが聞こえ、支柱が大きく震える。
野次馬達は無事避難できただろうか?ウェッジは生きているのだろうか?
目を開けて確認したくとも、ビックスの眼はもう開かなかった。

「ビックスは素直じゃないのよ。もっと素直に生きなさい」
記憶のジェシーがほほ笑んで言っている。手には大好きな電子盤を持って、あの薄暗い部屋の椅子に座って笑っている。
たしかにジェシー。
俺は素直に生きるべきだ。クラウドには素直に接することができたのに、お前には結局最後まで素直になれなかった。
ジェシーを避けた理由も、なぜクラウドを毛嫌いしていたかということも、何一つ話せないままに俺たちはさよならだ。
最後に思い出されるのは、真顔でビックスを見つめるジェシーの瞳だった。

暗闇の中にぼんやりと、ジェシーが現れる。まるでスライドショーのようにジェシーの笑顔が瞼裏に映し出される。
泣き笑いをしているジェシー、うまい飯を食って笑うジェシー、電子盤を見つめてほほ笑むジェシー。
そして、別れる間際のジェシーの笑顔。
だが、その中に好きな奴を見てほほ笑むジェシーの笑顔は存在しない。

ああ、長い付き合いでお前のことはなんでも知っていると思っていたのに、その笑顔は知らない。
お前はどんな顔をするのだろう。どんな笑顔を見せるのだろう。
その笑顔は、いつもの笑顔とは違うだろうな。




あんなに見たくないと思ったその笑顔を、今は見たくて仕方がないんだ。





もう、今の俺には見えないけれど。









2009/10/11 meri.




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