鉛色の空は、神羅に閉じ込められていたときのことを思い出すから嫌いなの。
あの窓から見下ろした空虚感を、あなたは知っているかしら。
ねえ、ツォン。
あなたは柱にもたれかかり、時折苦しそうに息を吐くわ。
わたしは不思議と涙が出て、おかしな位昔のことを思い出すの。
あなたに言った言葉を。あなたがわたしに言った言葉を。


わたしには幼い頃、友達が居た。
神羅から出て、育てのお母さんと暮らしていたとき、友達がいた。
同じスラム育ちの女の子。名前はもう思い出せないし、声すら思い出せないが、彼女と過ごした日々は覚えている。
わたしの家でケーキを作ったり、彼女の家で、彼女の母とお茶を飲んだこと。
泥団子を作ったこと、山のように積み上げられたゴミの中から人形を引っ張り出してお人形遊びをしたこと。
物心ついたときから神羅にいたわたしにとって、初めての体験だった。
毎日会えるというのに手紙を書いたり、好きな男の子の話をしたり。
傍から見たら普通のことだったかもしれない。だが、わたしにとっては特別だった。
「エアリス、お友達ができたのね」
友達のできたわたしに母が言った。自分のことのように嬉しそうだった。
一人の友達ができると、次々と友達ができた。
毎日色々な遊びをした。家にいることはなかったと思う。こんなに楽しいのかと、わたしは笑っていた。胸は朗らかに軽く、いつでもスキップできた。

「ずいぶん探しました」
ある日ツォンが来て言った。
少し見ない間に、ツォンの背は伸びていた。
「わたし、古代種じゃないもん!」
怖かった。わたしは部屋で震えていた。毛布にくるまり、時が経つのをまった。いや、時が戻ることを願っていた。
帰っていくツォンを二階の窓から見下ろした。黒いスーツに身を包んだ彼が、悪魔に見えた。

それから、黒いスーツの人々がわたしを監視するようになった。
「エアリスちゃん、あの人は誰?」
最初、友達はわたしに聞いた。彼らとわたしとの間に、何らかの関係があることは幼い彼女たちにも薄々気づいていたのだ。
「知らない人」
「知らない人なのに、エアリスちゃんの周りにはいつもいるよね」
「……そうかな」
振り返って見ると、二人三人と、黒いスーツの人々が眼に映った。
彼らは完璧に身を隠しているつもりでも、わたしには分かった。それは友達も同じことだった。
何も知らない無垢な子供には分かる何かがあったのだろうか。それとも、親の噂話で耳にしたのだろうか。
未だにそれは分からないが、とにかくその頃から、友達との関係がよそよそしくなったのは事実だった。

「私、エアリスちゃん嫌い」
突然の言葉だった。
いつも一緒に遊んでいた女の子達がわたしに言い放ったのだ。ただ一言「嫌い」と。
わたしは何も言えなかった。ただ彼女達を見上げ、嫌い、という意味を考えていた。
嫌い、といわれるのは初めてだったから、わたしはひたすらその意味について考えていた。
いつだったか、一緒に遊んでいた女の子について、みんなが話していたことがある。
「私あの子嫌い」
リーダー格の存在だった女の子が言った。何の脈絡もなく、潜めた声で。
すると、周りの子も口々に「私も」と同調し始めたのだ。
「エアリスちゃんは?」
何も言わないわたしにリーダーの女の子が尋ねた。今思い返すと、その目には嫌いと言え、という念が篭っていたように思える。
「わたしは嫌いじゃないよ」
「へえ、エアリスちゃんはいい子なんだね」
いい子なんだね、という言葉に明らかに悪意が入っていたが、当時のわたしはそうかな、と大して気にしていなかった。
わたしはそのことを思い出しながら、ただぼんやりと彼女達を見ていた。
彼女達の表情は一様に「してやった」の顔だった。わたしが呆然としているのが面白いのか、笑っていたようにも思える。
「エアリスちゃんの周りには黒い人がたくさんいるんだもの。気持ち悪い」
何も言わぬわたしに追い討ちをかけるように言った。
彼女達は満足した表情でお互い顔を見合わせると、軍隊のように同時に踵を返し楽しげなおしゃべりをしながら去っていった。

「エアリス」
彼女達がいなくなり、少し経ってからツォンが物陰から現れた。
彼女達が言う「黒い人」だった。
ツォンに声をかけられて、わたしは立ち上がった。ツォンはわたしと同じで、なにも言わなかった。
「ツォン、友達はいる?」
わたしの質問に、ツォンはしばらく考えた後
「昔はいたよ」
短く答えた。
「わたしはね、初めてだった」
お世辞にも美味しいとはいえないケーキを食べたことも、ヒミツのおしゃべりをしたことも、お人形遊びをしたことも、全部初めてだった。
神羅にいたときは友達なんていなかった。苦痛を伴う実験を受け、母の腕の中だけが安息だった。
「ツォンのせいだよ」
ツォンが僅かに眉を顰めた。
「全部神羅のせい。お母さんが死んだのも、今友達に嫌われたのも、全部神羅……ツォンのせいだよ!」
土を掴んで、ツォンに投げつけた。彼は顔を背けて目を瞑っていた。
「見てたんでしょ!見ていてなにも言わないの?全部あんた達のせいなんだから!」
わたしは走った。冷たい風に吹かれて、頬を伝う涙が張り付いた。

家に帰ると、母はわたしの顔を見て全てを察したのか何も言わずに抱きしめた。
母の体から石鹸と洗剤の香りがした。
好きな人はお母さん。
好きな色はピンク。
好きなものはお花。
ほら、なにも変わらないじゃない。ただ、古代種と言うだけでどうしてここまで違うのだろう。

それから、わたしは遠巻きに見られる存在となった。
ちょっとした有名人と言うところだろうか。
「黒いスーツが周りにいる女の子」と影で呼ばれ、当然友達はできなかった。
話かけてくれる子もいたが、親から関わるなと怒られたのか次の日には全く喋ってくれなかった。

その頃からツォンは隠れることはなくなった。
大概遠い場所から見ているだけで、時折思い出したように「神羅に協力してくれ」と言うのだった。
わたしはツォンの本心が分かっていた。だからこそ冷たい態度をとった。

「ツォンが死んだら、笑ってやるわ」
いつのことだったか、わたしはツォンに言った。
わたしの目線は、友達がいた頃より高くなっている。手にはスコップを握っていて、爪に泥が詰まって気分が悪い。
彼がわたしの前に現れる回数が確実に減っていた。
初めて会ったとき、青年と呼んでもおかしくなかったツォンが男になっていた。
ツォンは目を伏せて、楽しそうに笑った。
「私は君より先に死ぬのか」
「わたしは、長生きするもの」
「それはいい。長生きしてくれないと困る」
「それは古代種だから?」
わたしの言葉に、ツォンは顔をあげた。
「それ以外になんの意味がある」
彼は言うと、ポケットから携帯を取り出した。何か操作をする素振りを見せ「またな」と言う。いつもの別れの言葉だった。



ひんやりと冷たい古代種の神殿に、ツォンはいた。
腹部を押さえ、虫の息で彼はそこにいた。
「ツォン」
空気を震わす言葉に、わたしは震えた。埃にまみれた箱を開けときのように、懐かしい思い出が溢れかえった。
ツォンはあのときのように、気だるげな目線をわたしに向けた。
顔色は青白く、残された時間が短いことを告げていた。
「エアリス」
まっすぐな目線だった。ツォンが小さく見えた。
死ぬんだ。
わたしは直感し、次の瞬間には目の前が霞んだ。クラウドの言葉に首を横に振り、自分を納得させようと言葉を並べた。
わたしを知っているのは少ししかいないから、わたしが小さいころを知っているのは少ししかいないから。
笑わなくちゃいけないのに。死んでせいせいするわ、と笑わなくちゃいけないのに。
ツォンの傍らに寄ると、血の香りが色を増した。彼の無骨な指は、紛れのない頼りがいのある男だった。

ミッドガルを出て、色々なものを見たわ。
草原を見た。海も、空も、チョコボにも乗った。神羅兵に変装したり、ウォールマーケットに行った。
友達も、できたの。夜のベッドの上でその日の反省をしたり、小さな頃の話をしたり。それが普通といえるようになった。全然、特別じゃなくなったの。

「長生き……できそうか」
ひび割れた唇から掠れた言葉が聞こえた。
「できるに決まってるじゃない」
力なく、ツォンは笑った。冷たい古代種の神殿と冷たいツォンは形にはまっていた。
「それはいい。……長生きしてくれないと……困る」
「……わたしが古代種だから?」
長い時間があった。漆黒の瞳は僅かな光を発していて、わたしはその中に吸い込まれそうになる。
「……それ以外、なんの意味がある」
十分な沈黙のあと、彼は言った。わたしの手の甲に滴が舞った。

目を閉じて、わたしは言い聞かせる。これでいいのだと。
わたしたちの別れには、お互い嘘をついたままのほうがお似合いだ。

でもね、ツォン。
あなたの前だけ、わたしはわたしでいられたわ。








2007/02/15 meri.



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