ティーダはユウナの声が好きだった。
ユウナの声はまるで陽だまりのようにティーダの体を優しく包んでくれる。
つらい旅の道のりも、絶えない生傷もユウナの声を聞けば不思議とつらく感じない。
まるで魔法だ。もしかしたら、これが召喚士とガードの関係なのだろうか。
たとえば隣に歩いているアーロンも、ブラスカの声を聞けば辛さも痛みも全てが吹き飛んだのだろうか。

ガガゼト山の道のりは辛く厳しい。服をいくら着込んでも北風は体温を容赦なく奪っていく。
「うりゃー!」
甲高い声と同時に、ティーダの体に衝撃が走る。
腰に巻き付いた細い腕はリュックのもので、彼女はティーダの腰にしがみついている。
「なにするんだよー」
ティーダがため息交じりに言うと、
「疲れちゃった。引きずって」
と、悪びれた風もなくリュックが言った。ご希望通り、そのままズルズルと歩いてやると、まるで子供のようにうひゃひゃとリュックが笑った。
ああ、そうか。リュックは子供と言ってもいいくらいの年なんだ。
ティーダはリュックを引きずりながらぼんやりと思う。
旅を続けていると、ふとした瞬間に皆の年齢を感じる時がある。
リュックがこうして子供のような行動をするとき、アーロンの顔にあるしわの深さを再確認したとき。
以前、アーロンに「あんた年とったよなあ」と言ったら、アーロンはあからさまに嫌そうな顔をした。
やっぱり、あの人も年をとるのは嫌なんだな。
ティーダは思い出し笑いをした。

「もういい加減疲れたッスよー」
「えー、まだ少ししか歩いてないじゃん」
頬を膨らましてリュックが言う。横なぶりの風に吐息さえ凍ってしまいそうだ。リュックは寒さで頬を真っ赤にしている。
腰に巻きついている腕と密着した体からリュックの体温が伝わる。ティーダの凍えそうな体に、忘れかけていた人のぬくもりが伝わった。
「じゃあ、山頂についたらまたやってやる」
「えっ、ほんとに!」
ティーダの言葉に、リュックが目をキラキラと輝かせて言う。本当に子供だなあ、とティーダはほほえましく思った。
ティーダは一人っ子だから、兄弟がいる者の気持ちは分からない。だが、妹とはきっとこういうものなんだろう。
リュックのような妹がいる彼女の兄は幸せだろうな、とティーダはリュックの兄貴を思い出した。
スピラ語を話すことができない彼とコミュニケーションを図ることは至極困難なことだが、リュックと同じように無鉄砲な性格だということは分かる。

リュックは頑張ろう!と言ってティーダから離れると、ぐんぐん歩いて皆の先を行く。
しかし、そう意気込んだのは良いものの暫くすると最後尾で歩いていた。
肩を震わせながら「寒い……さむい……」と今にも死にそうな声で言っている。
リュックの後ろにはアーロンが目を光らせて歩いている。早く行け、と叱るアーロンに反論するリュック。
この二人の言葉にティーダは笑いながら、前を見た。

先頭を歩いているのはユウナとキマリだ。
ユウナはいつも先頭を歩いていることに、ティーダは気付いた。
いつだって、ユウナは皆を導くように先頭を切って歩いている。そして必ず、隣にはキマリがいるのだ。
ユウナの背中はピンと伸びていた。ロッドを握る手には手袋をしていて、皆と同じように服を着込み、その上からコートを着ている。
足にはいつも履いているブーツがあるが、この雪山にブーツは寒いだろうと思う。
革製のブーツだが、この旅が始まってからユウナは一度もブーツを買い替えていない。極寒の雪山に、そのブーツは不釣り合いだ。

早朝、皆がまだ夢の中にいるころ、宿屋でリンがユウナに新しいブーツを勧めていたのを思い出す。
その日ティーダは珍しく目が覚めて、用を足したあとだった。ロビーから聞きなれた声がしたので覗いてみると、そこにはリンとユウナがいた。
リンが手に持っていたのは動物の皮と毛で作られたブーツだった。この動物の皮は丈夫であり、毛は暖かかいと彼は言った。
ガガゼト山を登りきるのは辛く厳しい道のりであること。ユウナのブーツでは寒くてつま先が凍えきってしまうことから、手にあるブーツを彼は勧めていたのだ。
ユウナがブーツの値段を聞いた。リンが呈示した値段に、ユウナの小さなため息が聞こえた。その値段は盗み聞きしているティーダが飛び上がってしまうほどの破格のものだった。
そんなもの、俺たちには無理だ。
ティーダは思った。それはユウナも同じだった。
(今のわたしたちにそれは無理です。ごめんなさい。……でも、リンさん。ありがとう)
ユウナが一つ礼を言うと、リンはいえいえ、と首を横に振った。
(値段下げろよ!)
とティーダは思わず言ってしまいそうになったが、それを言っても無駄だと知っていた。リンは値段をまけるようなことは決してしない。彼は儲かることしか考えていないのだ。

もし、もっと俺たちに金があったら。
そんな考えが頭をよぎって、ティーダは頭を横に振った。そんなこと考えたって、どうにもならないんだ。
足を大きく踏み出して先頭へ向かう。

「ユウナ」

名前を呼ぶと、ユウナが振り返る。
その頬はリュックと同じように真っ赤だ。僅かに開けた唇から、白い息が絶え間なく出ている。
「寒いっすね!俺、死んじまいそう」
おどけて言うティーダに、ユウナは口元を押さえてふふふ、と笑った。
ユウナの手の間から上る白い息を眺めて、ティーダも一緒にほほ笑んだ。
「死なないようにね、ガードさん」
ティーダと同じように、ユウナもおどけて言ってみせる。
足元が奏でる雪の音が心地よい。しかし、靴底から伝わる冷たさに足先が痛む。
「ユウナの足、大丈夫ッスか?」
「え?」
ティーダの質問に、ユウナが首をかしげる。
「いや、ユウナのブーツ。寒そうだから」
「ぜんぜん、そんなことないよ!」
こわばった笑顔だった。それは寒さによって顔がこわばっているのか、それとも寒さに耐えているのか。
きっとその両方だろう。ティーダはユウナの笑顔を見て、胸を締め付けられるのを感じた。

キマリを見ると、彼はいつもの無表情でティーダを一瞥し、すぐに前を向いた。

(ユウナは心配されると無理をする。だから、普通にするのが一番だ)

キマリがいつか言っていた言葉を思い出す。ユウナが今笑っているのは、ティーダが心配しているからだろうか。
寒くないわけがない。つま先は凍えて、指がちぎれそうなほど痛いに違いないだろう。
それはユウナだけの話ではなく、パーティ全員に言えることだった。だが、リュック以外の者たちは弱音ひとつ吐かず、ガガゼト山を登っている。

「うりゃー!」
ティーダは声を上げてユウナの腰に手をまわし、先ほどのリュックのようにしがみついた。
うわあ!とユウナの驚きの声が上がったが、聞こえないふりをして後ろから抱きつく。
「なに、なに!?」
ユウナの歩みが止まった。キマリもまた立ち止まってティーダを見ている。ティーダはキマリの無言の圧力をケラケラ笑って知らないふりをした。
ユウナの着ているコートは冷たい。頬をつけると、痛みが走った。
先ほどリュックがこれをしたときは、温かさを感じたのに。
ティーダはどうしてだろう?と考えて、ああ、ユウナは厚着をしているから分からないのだ、と気付いた。
南国のビサイド村で過ごしてきたユウナにとって、寒さは苦手なのだろう。だからこうして厚着をしているのだ。

だが、たとえユウナの体から温かさを感じなくても十分だった。
ユウナを抱きしめるということで、不思議と体がぽかぽかと暖かくなってくる。

「あったかーい」

ティーダは目を細めて言った。当のユウナは、首をかしげて「そうかなあ?」と言っている。
「ユウナは暖かくなくても、俺は暖かいッス」
「それってなんだかおかしくない?」
キミだけずるい、と言ってユウナが笑う。その笑い声に、ティーダはまた体が温かくなる。
ここがガガゼト山じゃなかったら、ロマンチックな雰囲気になるのになあ、と轟音を立てて体温を奪う風を心底憎む。

「こらー!そこのバカップルー!」
背後からリュックの声が聞こえ、走り出す足音が聞こえる。
さっきまで死にそうだと言っていたのに、走る元気はあるんじゃないかとティーダはほくそ笑んだ。
「うらやましいだろー」
肩越しに振りかえり言うと、すぐそこまで走ってきているリュックが頬を膨らませて「ムカツキ!」と言った。
しかし、次の瞬間には膨らました頬を綻ばせて笑った。
何か良い策を思いついた風な顔だった。考えていることが全て顔に出るリュックは見ていて飽きない。
リュックは軽やかにユウナの前に回り込む。
「え?なに?」
ユウナの体がこわばるのが分かる。リュックはユウナを見て「ふふん」と笑うと
「うりゃー!」
と、ティーダと同じようにユウナに抱きついた。

ユウナを真ん中に挟んで抱きつくティーダとリュックは奇妙だった。
ルール―は頭を押さえて呆れながら先に進む。ワッカは「お前ら楽しそうなことやってんなあ」と笑っている。
「えへへ、サンドイッチだよー」
ワッカにリュックが笑って説明すると、「そりゃあいいなあ!」とワッカが言う。
言った後、そわそわと落ち着きがない。ティーダとリュック、ユウナの三人を見つめて何かを考えている。
ワッカが何を考えているのか分からない三人は、首をかしげてワッカを見つめた。
「あんたはしたら駄目よ」
ルール―の言葉に、ワッカがぐっと息を詰まらせる。
抱きつくつもりだったのかよ、とティーダは思わず笑った。ワッカがここに加わっても寒さは変わらないだろうが、キマリが加わってくれたら暖かいだろう。
なんていったって、キマリは毛皮を纏っているのと同じなのだ。
ちらりとキマリを見ると
「キマリはしない」
と、冷たい言葉が返ってきた。まだ何も言っていないのに、と小声で言って、ティーダは「へいへい」とうなずく。

「なあ、ユウナ。暖かくなった?」
気を取り直してユウナに尋ねると、「うん!」と元気な声が返ってきた。
「ティーダとリュックに挟まれて、とってもあったかい!ありがとう!」
ティーダからユウナの顔は見えなかったが、リュックが今までにない笑顔を見せたのでユウナの表情は想像できた。
その笑顔を見れないことが悔やまれたが、ユウナがそう言ってくれるのなら十分だった。
「リュックもこれで頑張れるよな」
「うん!ティーダが山頂についたら引きずってくれるしね」
不敵な笑みを浮かべて言うリュックに、ちゃっかりしてんなあ、とティーダは声を漏らした。
ユウナは二人の会話にくすくすと笑って、「さあ、頑張ろう!」と言う。

「ここを超えたらザナルカンドだよ!あともうちょっと、頑張ろうね」

言って、ユウナは二人の腕を解いて歩き出した。暫く歩いてから、二人を振り返る。
「ほら、早くしないと置いてっちゃうよ」
等身大の少女の笑顔だった。ほほ笑みを浮かべながらユウナは前を向き、歩いていく。
キマリはまっすぐティーダを見つめていた。その目は何かを訴えようとしていて、だがその「何か」はティーダには分からなかった。
しばらくの見つめ合いのあと、キマリも歩き出す。
残された二人は、ユウナの背中を見つめて立っていた。
「頑張ろうね、かあ」
リュックがぽつりとつぶやいた。
ユウナの背中からリュックへ視線を移すと、彼女は足をくねらせて深刻な顔をしていた。
「頑張って頑張って、ユウナはザナルカンドに行くんだよね」
リュックが言わんとしていることをティーダは分かっていた。その気持ちはティーダも同じだった。
だから、もうその先を言わなくていいと言おうとした。それは八つ当たりにも似た感情で、ティーダはそれをぐっと堪える。
「……アタシ、何やってんだろ」
リュックはそういうと、降り積もった雪を蹴った。雪が空を舞って、そして消えた。

先ほどまでここにあった温もりが消えていくのを感じる。足元を見れば、足跡が二つ残っていた。
ひとつはリュックのもの、もうひとつはユウナのものだった。
その足は小さなものだった。こんな小さな足で、ユウナは歩いているんだ。

ティーダは事あるごとに「子供だ」と言われる。
もっと大人になるべきだと、何度言われたことだろう。
それはほとんどアーロンの口から発せられるものだった。ザナルカンドにいたころから、挨拶代わりのようなその言葉にティーダはいつもうんざりしていた。
「いいんだよ、オトナになればしっかりするから」
ティーダの口先で呟いた言葉に、リュックが「え?」と声を上げる。
「俺がよく言ってた言葉。いっつもアーロンが、俺に言うんだよ。もっと大人になれって」
恥ずかしげに笑って、ティーダはあのころを思い出した。ザナルカンドにいたのはつい数カ月前のことだというのに、もう何十年も昔のことに感じるから不思議だ。
スピラでは考えられない高層ビル、ネオン、街の喧騒が甦る。
アーロンに小言を言われるのは、喧嘩をした夜、試合に負けて物や人に八つ当たりをしたとき、部屋を散らかしたとき――。
両手では数えたりないほどの理由がそこにはあった。大人になりきれていないことは、誰よりもティーダ本人が知っていた。
だから面白くなかった。余計いらついた。
「俺はまだ若いんだから。……子供なんだから許されるって思ってた」
都合の悪い時は子供と言うことを言い訳にして、しかし子供扱いされると怒っていた。

「平和だったんだね」
言葉に、顔を上げる。
リュックは先ほどの深刻な表情とは違い、大人びた笑みを浮かべてティーダを見ていた。
「いいことだと思うよ、そういうのも」
リュックは言って、よくわかんないけどさ、と付け足した。変わらないリュックだった。気まずいことがあれば頬を掻く、幼いリュックがそこにはいた。
しかし、発せられた言葉と大人びたリュックの笑みに、ティーダはなにも言えなかった。
リュックは俺よりもずっと大人なのかもしれない。
唐突にそれを思った。思い返してみれば、リュックはアルベド族として差別されて生きてきた。
ティーダには想像することしかできないが、ホーム襲撃の惨劇さから言葉では表現しつくせないものがそこにはあるのだ。
だが、リュックはそれを微塵も感じさせることなく明るく振舞っている。自分の不遇な生い立ちを、同情を誘うために話すことは決してしない。
一方ティーダは、何の不自由も感じることなく生きてきたにも関わらず、ザナルカンドでは不平不満を口に出していた。
父親との確執や母親の死といった問題はあったが、命の危険を感じることや差別されることはなかった。

ユウナの年齢を思い出す。俺と年は大して違わない。なのに、ユウナのほうがよっぽど大人だ。
ザナルカンドでの友人に、ユウナやリュックのような者はいなかった。世界中の人々の期待を一身に受けて、命と変えて世界を救おうとしている者なんていなかった。
皆、若さを謳歌していた。ユウナと同じ年齢の女はきらびやかな衣装を身にまとい、化粧を施し、そして夜の街を楽しんでいた。
(今が楽しければいいじゃない。だって、若いんだもの)
昔付き合っていた彼女の言葉を唐突に思い出した。真っ赤な口紅を引いて、彼女はよく笑っていた。
童顔にその口紅は似合わない、と言うティーダの言葉をいつも聞き流していた彼女は、今は何をしているだろう。
大人にはなりたくないと言いながらも、大人の口調や化粧を真似していた彼女。そんな彼女のこと、今の今まで思い出しもしなかった。
未来を見据えて努力を重ねている者もいた。しかし、彼らは毎日の生活で、死を覚悟して生きてはいなかった。
ザナルカンドでは最先端の医療が受けられた。戦争だってなかった。モンスターなんて存在しなかったし、危ない事は全部大人がやってくれた。
だから、ティーダ達は遊んで暮らしていられたのだ。しっかりするのは大人になってからでいい、という合言葉とともに。
でも、ここでは違う。
自分の身は自分で守らなければいけないし、シンによって明日死んでもおかしくないのだ。

だから、スピラでは子供を飛び越えて大人にならなければならない。あの頃のティーダのように「大人になったらしっかりする」とは言えない。
若さを謳歌することも、娯楽に身を沈めることも、なにもできない。
ユウナはその唇に口紅を塗ることも、大人になりたくない、なんてふざけたことを言うこともなく山を登っていかなければならない。

おぼろげだった平和と言う言葉が、いまなら分かるような気がした。
さっきまであったユウナの足跡が、降り積もる雪によってかき消されていく。先ほどまでかすかに残っていたユウナのぬくもりが、今は完全に寒さに消えて変わった。
ティーダとリュックが先ほどユウナに行った行為も、この体温のように頼りなく、そしてあっという間に消えてしまうものなのだろうか。
ユウナの人生も、リュックの苦悩も、俺の物語も。
(俺、ユウナに何をしてやれるんだろう)
先ほどのような悪ふざけをしても、ユウナの体調を気遣っても、彼女は困ったようにほほ笑むだけだと言うのに。


このままでは、ユウナは死んでしまうというのに。


「……リュック、行こう。みんなが行ってしまう」
失意に打ちひしがれた声だった。
つい数分前のティーダとは間逆の様子に、リュックは「うん」と答えるのがやっとだった。





→準備中




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