森の中で出くわした獣に油断していた。、こんなのすぐ倒せるだろうと思っていた。
手加減をしてくれるほど、獣は優しくない。
獣はユフィを標的に決めたようで、地面を蹴ったと思ったら、次の瞬間ユフィは木の幹に叩きつけられていた。
パーティーを組んでいたヴィンセントもクラウドも、一瞬のことに驚き、瞬間茂みから現れた二頭の獣に襲われた。

意識が朦朧とする、誰かの声が聞こえる。薄く開いた視界の向こうに見えるのは、毛を逆立てた獣の姿だ。
右腕が痛い、背中も、足も――。獣はユフィに止めをさそうと爛爛とした目で見ていた。
青空に向かい雄々しく啼くと、地面を二、三度荒々しく掻き、うなり声を上げながら獣が走り出す。
ユフィに抗う気持ちはなかった。ただ、向かい来る獣をぼんやりと見つめながら、死ぬのだ、と思った。
獣がユフィに飛び掛ろう地を蹴った、その時だった。

視界が深紅に染まる。鋭く乾いた音、獣の悲痛な叫び声、二つのものが地面に力なく倒れる音。
敵に囲まれ必死に立ち回っているクラウドがこちらへ向かって何かを叫んでいる。クラウドの姿がぼやける。世界が歪む。ぐらりと、青空が回る。
前のめりに倒れると、何かがそこにあった。名を呼ぼうとしたけれど、声にならない。
地面には、ヴィンセントの血が流れ出ていた。




次に目を覚まし、最初に目に入ったのは薄汚れた天井だった。
蛍光灯の光が目に沁みる。体を動かせば、節々が痛む。
ベッドを囲むカーテンは風になびいていて、医薬品の匂いが鼻につく。
カーテンに影が出来て、そこから現れたのはクラウドだった。
相変わらずの仏頂面で体の調子を尋ねるクラウドに、ユフィは一度頷いた。
クラウドの話によると、あの森の近くにこの村があり、村の住人と協力し、ユフィとヴィンセントを診療所まで運んだということだった。
「打撲はあるが、大丈夫だそうだ。よかったな」
ベッドから降りようと体を起こすが、鋭い痛みが体を駆け巡り、結局ベッドに横になった。
「ヴィンセントは?」
ユフィの問いかけに、クラウドはああ、と呟いた。あまりにもそっけない言葉にユフィは拍子抜けした。

それからクラウドは一度カーテンの向こうに行くと、ヴィンセントを連れて戻ってきた。
ヴィンセントの首筋には包帯が巻かれているが、彼は顔色一つ変えない。包帯を見なければ、健康体そのものだ。
「どうして」
やっとの思いで声をだして、唾を一飲みしてから口を開く。
「どうして?ヴィンセントは……」
「私の体にあるものを忘れたのか」
ユフィの言葉を遮るようにして発するヴィンセントの言葉に、はっとする。
「医者を呼んでくる。ヴィンセント、ユフィを見ていてくれ」
「クラウド!」
「あまり騒ぐな。傷に障る」
クラウドの有無を言わさぬ言葉に、ユフィはおとなしく口を閉ざした。
ヴィンセントといえば、何も言わずにユフィを見下ろしている。

何も言わぬ人間に見下ろされるなんて、むず痒いものがある。
「すわりなよ」
ユフィはベッドサイドにあるパイプ椅子を指差して言う。ヴィンセントはそれを確認して「ああ」と短くいった。
素直にパイプ椅子に座るヴィンセントが少しおかしかった。

「なんであんなことしたの?」
ヴィンセントはユフィの言葉に首をかしげ、なんのことだ、とたずねる。
「だから、あたしを庇ったこと。なんであんな危険なことをするの?」
「……先ほど言っただろう」
「ジェノバ細胞」
吐き捨てるようにユフィは言った。ジェノバ細胞を憎たらしいと本気で思った。
理由は分からない。今までジェノバ細胞のことに興味を示したことはなかったし、そんな感情を抱くこともなかった。
ヴィンセントの体に巣食うそれを、ヴィンセントの口から聞きたくなかった。

「ジェノバ細胞が私の体にある限り、私はすぐには死なない。死んでも構わぬ体だ」

彼は平然とそれを言い放った。
その言葉に鳥肌が立ち、それを打ち消すように声を上げる。
「やめてよそういうの!!」
想像以上に大きな自分の声に驚くが、ヴィンセントはもっと驚いたようだった。
ユフィは無性に悲しくなった。そのようなことを言うヴィンセントが信じられなかった。
「ああいうことは絶対にしないで!」
あのまま死んでいたら……想像しただけでぞっとする。
そんなユフィに、ヴィンセントが問いかける。
「だが、ユフィ。私が助けなかったら、お前は死んでいた。お前が死ぬのを見ておけと言うのか?」
ヴィンセントの言うこともよく分かった。だけどあたしはヴィンセントにあんな行動をとってほしくない。
あの光景がフラッシュバックする。朦朧とする意識の中、確かに目に映った鮮明な赤い血。
それはどろどろとあふれ出し、ヴィンセントの肌は青白くなっていく。

こいつの質問は、なんと意地の悪いものだろうかと思った。
確かにヴィンセントが庇ってくれなかったら、これくらいの怪我ではすまなかっただろう。
もしかしたら命を落としていたのかもしれない。
あたしだって死にたくない。だけどヴィンセントが死ぬのはもちろん嫌だ。
悶々とした雨雲が胸に張る。ヴィンセントの体を蝕むジェノバ細胞。
それは多くのものをヴィンセントから奪い、多くの悲しみを与えた。

「あんたが死んだら、あたしは悲しい」

言葉を放ったと同時に、猛烈な恥ずかしさがユフィを襲った。
あたしはいったい何をいっているんだ。これじゃあ、まるで……。
天井に向けていた視線をヴィンセントに移せば視線がぶつかった。
ヴィンセントの眼差しは、驚きと憂いに満ちていた。その入り混じった表情が、余計ユフィを混乱させる。
「あたしだけじゃなくて……もちろんみんなだよ!あんたはずっと一人だったけど今は一人じゃないんだから、みんな悲しむってこと!」
思わず早口になって、ユフィは焦った。顔が徐々に熱を帯びるのがわかって、両手で顔を覆う。

あせっているのがばれてしまうかもしれない。
……あたしがあいつのことを好きなんて、ぜったいにない!

考えれば考えるほど、ユフィは焦り、手のひらに伝わる顔の温度が高くなるのがわかる
指の隙間からヴィンセントを見ると、そこには信じられない光景があった。
ヴィンセントが口を手で覆って、下をうつむき肩を揺らしているのだ。
一瞬、苦しんでいるのかと思った。庇ったときの傷が痛み、苦痛でもだえているのかと。
だが、違うようだ。ヴィンセントの仕草は、笑いをこらえている人間の姿に見えた。
苦しんでるわけじゃない。
その事実にホッとして、次にヴィンセントが笑っていることに驚いた。
ヴィンセントの表情は、うつむいているために見ることはできない。

どうせなら、見てみたい。

沸いた感情を、好奇心旺盛なユフィはとどめることができない。
きっと気づかれるに違いないと思っていても、体が自然と動いてしまう。
ベッドが僅かにきしむ音を立てる。ヴィンセントは顔を俯けているから、あたしの行動に気づいていない。
頭を傾け、あともう少しで見えそうというときにヴィンセントがぱっと顔をあげた。

間近で交わる視線に、ユフィは思わず固まってしまう。それはヴィンセントも同じだった。
かつて、こんなに近くでヴィンセントの顔をみたことがあっただろうか。ユフィは思う。
ベッドの上で横たわっていたユフィが間近にいることに驚いているのか、ヴィンセントは多くの情報を捕らえようと大きく目を見開いていた。
真っ赤な瞳。そこに自分が映っている。
肌は白い。ともすれば、血管が透けて見えそうだ。棺桶に長年入っていたら、人間はここまで白くなれるのだろうか。
(あんた、もっと棺桶に入ってれば透明になれたんじゃない?)
そんな言葉が頭に浮かんで、あともう少しで発してしまいそうだった。
だが、ユフィが声を発するよりも、庭の木にとまった鳥のさえずりの方が早かった。

そのさえずりに弾かれたように、ヴィンセントは強い力でユフィをベッドに押し戻す。ユフィの口から、驚きの声が上がった。
ユフィにぞんざいな態度で毛布を被せると、赤いマントを大きく翻してドアへと向かう。
「はやく治せ」
一言言って、ヴィンセントは静かに部屋を後にした。


一人残されたユフィは、ヴィンセントが先ほどまで座っていたパイプ椅子をじっと見つめ、息を吐いて天井に視線を移した。
今のあたしの行動はいったいなんだろう。
思い返して、首をひねる。
ヴィンセントが、笑っていたように見えた。
それを見たいと思うのは、至極当たり前の感情だ。よし、これはおかしくない。

でも……どうして、あたしはあんなことを言ってしまったのか。
ヴィンセントが死ぬと、あたしは悲しい……?
そう、それも当り前の感情だ。だって、夢見悪いじゃん。
でも、それでは片づけられない感情が僅かに混ざっていたように感じる。
一緒に旅をしている人間として当たり前の感情を取り除いたら、何か別のものが残るのか。

「あー、めんどくさ!」
やめだやめだ、と先ほどヴィンセントが雑に被せていった毛布にくるまる。
ぬくぬくと体を温めてくれる毛布は最高だ。さあ、今から存分に寝てやるぞと意気込むが、どうしても眠りに落ちることができない。
溜息をついて、暇はこれだから嫌だと考える。風になびくカーテンを眺めていると、あの瞬間をどうしても思い出してしまう。
ヴィンセントは、あたしを庇ったとき死を覚悟しただろうか?
そんな考えが脳裏をよぎって、ユフィは再度思案する。

その時、あいつは誰を思ったことだろう。

瞬時に思い出す女の姿。薄暗い祠で、彼女に出会ったヴィンセント。
女を見るヴィンセントは、今まで見たことのないような人間らしい表情をしていた。眼はわずかに潤み、静かな動揺がみてとれた。
あいつは、あたしをそんな眼でみてくれることは一生ないだろう。
きっと、あたしを庇ったとき、ヴィンセントは彼女のことを思ったはずだ。
目の前にいるあたしではなく、あの女のことを。

ユフィは首を横に振って、考えを打ち消す。
いやいや、だから、おかしいって。
あたしが別にそんなこと考える必要なんてないじゃん。ばっかじゃないの。
なんでこんなことを考えなくちゃいけないんだろう。はいはい、ヴィンセントはあの女が好きなんだよ。ずっと、ずーっとね。

ヴィンセントと女が寄り添っている姿を想像する。この旅が終わったら、あいつは即座に洞窟へ向かうことだろう。
刹那、喉が締め付けられる。
胸がどきどきして、脳にうまく酸素が回らなくなる感覚が襲った。

(胸がどきどきして、誰かと一緒にいるところなんて考えられないの。それが、恋なの)
いつか、エアリスが夢見がちに言っていた言葉を思い出す。
あのとき、あたしは鼻で笑った。くっだらない、ばっかみたい、って言った。
今のあたしの症状はそれにピッタリ当てはまる。

年齢だってずっと離れている。あんな気味の悪い地下室で、しかも棺桶に入って眠ってたやつだよ。あいつにどうやって恋しろっていうのさ。
なんとしてでも、この感情を否定しなければならないとユフィは思い、否定的なことばかりを考えた。
だが、それをすればするほど「どうして自分はここまで否定しなくちゃいけないのか」という考えが新たに生まれる。
考えを遮断するように毛布を顔まで持ち上げ、体全体を隠す。

あたしがあいつを好きかどうか、そんなことはどうだっていい。いや、どうでもよくはないけど、今の時点でそれを考えたってしかたがないことだ。
でも、最後に考えたいことが一つあった。
……あたしは、死を覚悟したとき、いったい誰の名を呼ぶだろう。

「ヴィンセント」

小さくつぶやいて、瞼を閉じる。
あたしは真っ先に、あんたのことを思った。あんたの名前を呼ぼうとした。


あたしが星に還るとき、あたしはあんたの名前を呼ぶのかもしれない。








2006/4/23 meri.
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