わたしは一人っ子で、内気な性格だった。
内気な性格なのは今でも変わらないが、その頃のわたしは今以上に内気で、初対面の人と笑顔を浮かべて会話をするなんて考えられないことだった。
わたしは一人でお人形遊びをするのが好きで、周りの子と一緒に遊んだ記憶はほとんどない。
スピラで二番目に大きな街の、喧騒にまみれるルカの海辺でわたしと父さんは暮らしていた。
街の中心部から離れたところにある、静かな入り江にある家だ。
貿易船が港に接岸する音や、人々の怒声、街の喧騒とが微かに聞こえ、窓から燦燦と太陽の光が降り注いでいた。
記憶のなかのわたしは、いつもそこで一人でお人形遊びをしている。父さんが買ってくれたドールハウスには、男の人と女の人、そして子供の人形があった。
一人で遊んでいても、遠くから聞こえる人々の気配に寂しい気持ちは起こらなかった。

その日もわたしは一人で遊んでいたと思う。玄関の開く音と父さんの笑い声に、わたしは人形を置いて立ち上がった。
父さんが帰ってくると、わたしは部屋を飛び出し玄関まで迎えに行くのだが、立ち上がったわたしは動かなかった。
父さんとアーロンさん、あと一人別の人の声がするのだ。
とても大きな声で、わたしは縮こまってしまった。三人の足音が階段を上がる。大きな声が近くなる。
部屋に入ってくるつもりなんだ!
直感したわたしはどうしようかと辺りを見渡したが、見渡したところで何か良い策があるはずもなかった。
そうこうしているうちに、部屋のドアが開いた。
「ユウナ、お客さんだよ。父さんのお友達だ」
父さんはいつもの笑顔で言った。きっと、そのときのわたしは酷く怯えた顔をしていただろう。
父さんの背中から現れたのは真っ黒に肌を焼いた大きな男の人がいた。
男の人は笑顔一つ見せず仏頂面だったが、わたしを見るとその顔をくしゃくしゃにして近づいた。
わたしは思わず父さんの手を握ったが、父さんは一点の曇りのない笑顔でわたしを見ていた。
男の人の手がわたしの頭に伸び、乱暴にがしがしとわたしの頭を撫でた。父さんとは正反対の、無骨で日に黒く焼けた掌だった。
「かわいい嬢ちゃんだなあ!俺のガキと同じくらいか」
大きな声に、幼かったわたしは思わず目を堅く閉じてしまった。

それはわたしの癖で、予想しなかったことが起こると目を閉じ、周りと自分の世界を遮断する。
何も目に映らなくなって、いち、に、と数える。数える間に目の前に広がる「非常識」を覚悟し、そっと目を開ける。
目を開けると、そこにはやっぱり男の人がいた。腰をかがめ、わたしと目線を合わせて豪快に笑った。
「怖がらせちまったかな。こんなところも俺のガキとそっくりだ!」
その声も大きかった。そしてまたその人はわたしの頭を乱暴にがしがしと揺さぶり、わたしは再度目を閉じるのだった。
「ブラスカ様のご息女だぞ!」
アーロンさんの怒鳴り声と刀を抜く音。
「お前やめろって洒落になんねえよ!なんだよその武器!」
「貴様のような輩を切る為に存在する武器だ!ブラスカ様、やはり私は反対です!」
「まあまあ、そんなに怒るな、アーロン。そんなに怒ったら鳥が驚くじゃないか」
わたしは尚も瞼を閉じたままだった。暗闇の中、二人のどたばたした音が耳に入り、父さんの朗らかな笑い声が優しく響いた。
大きな声で喋るおじさんの「ガキ」とは誰だろうかと、わたしは考えていた。



リュックの怯える声と、雷の落ちる音でわたしは覚醒した。
雷平原の旅行公司で、わたしたちは一休みすることにした。
わたしはソファに座っていて、アーロンさんやティーダ達は雷に怯えるリュックを放っているようだった。
最初は慰めの言葉や労わりの言葉をかけていたが、それも無駄だと分かったらしい。
また雷の落ちる音がした。
リュックはロビーの隅に座り込み、耳を押さえて震えているのが見える。
「ガードとは思えんな」
「雷もおっちゃんも、うっさいなあ!もう!」
アーロンさんとリュックのいつもの憎まれ口の叩き合いが始まり、ルールーの溜息が聞こえた。
「みんな一つくらい嫌いなものあるでしょ?あたしはコレが嫌いな……」
言葉を遮るように、雷鳴が聞こえた。今度は近くに落ちたようだ、今までの比でないほどの轟音がし、旅行公司の壁が震えるのが分かった。
リュックの悲鳴が大きくなり、わたしは思わず耳を塞いでしまった。それは他のみんなも一緒だった。
「俺、空いてる部屋で仮眠をとるッス。……リュックはまだダメっぽいし」
ティーダはカウンターのアルベド族の女性に空いている部屋はないかと聞きに行き、ルールーやワッカも席を立ちティーダと同じように立ち上がった。
「ユウナは大丈夫?」
ルールーが尋ねる。
「ううん、大丈夫。ありがとう、心配しないで」
「そう」
わたしの返事が不満だったのか、ルールーは憂いの瞳で私を見た。

袖のスフィアが重く心にのしかかる。
映っていたのはグアド族の元族長……シーモア老師の今は亡きお父様、ジスカル様がうつっていた。
異界から現世へ現れたジスカル様が落としたスフィア。ジスカル様は、シーモア老師にいつか殺されると訴えていた。
わたしはどうしたらいいの?
スピラの人々の心の支えであるエボン教の黒い部分が垣間見えた。
エボン教の若き老師シーモア様が、父親のジスカル様を殺したなんて信じたくない。
首を横に振って、そんなこと考えてはだめと言い聞かせる。
まだ、シーモア老師が殺したという証拠は無い。シーモア老師の口から聞かなければならない。
脳裏にシーモア老師の顔が浮かぶ。あの隙の無い笑みを、地の底を這い回るような声を。



「ユウナ、今日もお人形遊びかい?」
ジェクトさんとアーロンさんが二人、部屋で取っ組み合いをしている傍ら父さんはわたしに尋ねた。
母がいないわたしに寂しい思いをさせないために買ってくれたのだろう。思惑通りわたしは寂しさを感じなかったが、内向的な娘となった。
「うん。父さんが買ってきてくれたこのお人形とね」
丸い顔に丸いボタンの目をつけた人形を並べる。男の子と女の子。
「家族ごっこをしていたの」
ドールハウスには小さな家具が所狭しと並べられている。テーブルにお風呂、石鹸まであるのだ。
父さんはいつもわたしの頭を優しく撫でてくれた。
「おっ、人形とは可愛い趣味持ってんな」
アーロンさんをねじ伏せて、ジェクトさんは顔を明らめて言った。驚いて頬がぴくぴくした。
「嬢ちゃん、名前は?」
「……ユウナ」
「ユウナちゃんか!いやあ、可愛い名前だな!」
豪快に笑って、ジェクトさんはわたしの方へと歩いてきた。自由になったアーロンさんは止めることを諦めたのか、ジェクトさんをじっと見つめていた。
床に転がっている人形を取り、ジェクトさんはわたしの目の前で女の子の人形を揺らして裏声で話し始めた。
「アナタ、オカエリナサイ」
なんとも形容しがたい気持ち悪い声だった。わたしは心底驚いて、ジェクトさんの手から人形を取り上げて首を横に振った。
「違う、もっと可愛い声じゃなきゃ……」
ジェクトさんはお手上げのポーズをとって溜息をつくが、すぐに歯をむき出しに笑って「練習する」と言った。
開いた窓のカーテンが風にそよぐ。そこから覗く空は晴天で、ジェクトさんの背中越しに太陽があった。
この人太陽みたい、わたしは思った。頬を撫でる風が気持ちよかった。

父さんが家にいることは少なかった。
その頃にはもうシンを倒す旅に出ることは決めていたのだろう。親戚私のことを頼みに町中を走り回っているかもしれなかったが、幼いわたしには当然知らなかった。
アーロンさんは当時僧兵で、寺院で生活していたので家に訪れることは数ヶ月に一回ほどだった。
朝ごはんは父さんと一緒に食べ、夕ご飯は一人で食べた。
父さんが帰ってくるのはそこまで遅くはなかったような気がするが、子供にとっては眠気に耐えられぬ時間であった。
休日わたしがすることといえば、人形遊びか二階の自室の開き窓から海を眺め、遠くに見える貿易船をぼんやり見ることだけだった。

しかし、ジェクトさんが現れてからと言うものわたしの生活は一変した。
一人でご飯を食べることも、一人で遊ぶことも少なくなった。
ジェクトさんはザナルカンドの話をよくした。
「ザナルカンドはなくなっちゃったんだよ」
わたしが言うと、ジェクトさんはそうだな、と言って笑っていた。その笑顔は泣くのを我慢している子供のようで、幼心に「これは言ってはいけないことなんだ」と理解した。
ザナルカンドのほかにも、スポーツの話をよくした。あれは最高だとジェクトさんは言った。何より、ブリッツボールが好きだと。
その話をするとき、ジェクトさんは必ず腕をまくって見せた。
「うわあ!」
そこには真っ黒に焼けた筋肉があった。腕に力を入れると、山のように筋肉が盛り上がった。触ってみるととても硬い。
父さんの体には、こんなに筋肉は無い。ジェクトさんの腕はよく見てみると剛毛が生えているが肌の黒さにそこまで目立たない。
父さんとは真逆だ。お父さんの腕は白く、まるで女の人のように繊細な線を描いている。
アーロンさんもたくましい腕を持っているけれど、ジェクトさんが一番だった。
「すごいね、すごいね」
初めて見るそれに、興奮を隠し切れないわたしは何度も同じ言葉を繰り返し、その腕にぶら下がったりよじ登ったりして暫くジェクトさんをおもちゃにした。
頼もしい腕に触れたのはそれが初めてで、男の人の酸っぱいような香りを嗅いだのも初めてだった。
「笑った」
ジェクトさんの腕を触ったり引っ張ったり、揉んだりするわたしに対してジェクトさんは言った。
ジェクトさんは笑うとき、目を命一杯細めて笑うのだ。半月のような形になるのを覚えてる。
恥ずかしくなったわたしは、ジェクトさんを触っていた手を引っ込めて俯いた。
頭に大きな掌が乗っかって、わしわしと頭を前後にゆすぶられる。
「笑ったほうが可愛いぞ」
みるみる顔が熱くなって、わたしは部屋を飛び出した。

父さん以外の男の人に、そんなことを言われるのは初めてだった。
わたしは日がな一日部屋で一人遊びをする生活だったので、外の世界で他人と触れ合う機会が極端に少なかったのだ。
わたしの胸は躍っていた。鏡の前で口端を上げ、笑う練習をした。ぎこちなく笑うわたしの顔があったが、不思議とわたしが可愛く見えた。
今思うと、ジェクトさんは初恋の人だったのかもしれない。

ある日、わたしは大声で目を覚ました。
窓から差し込む光はまだ弱い。時計は、早朝を指している。
今度は、椅子が倒れる音がした。階下のリビングで、男の人たちの声がする。
息を止めて声に耳を澄ますと、男の声はお父さんと、ジェクトさん、アーロンさんのものだった。
部屋のドアを開けると、声ははっきりと聞こえた。
階段をそっと降り、リビングを覗き込む。
そこには、ジェクトさんが大声で怒鳴っていたが、早口と難しい言葉にわたしにはよく聞き取れなかった。
「ジェクト、ユウナが起きてしまう」
お父さんがジェクトさんを制止する。壁から覗き込むわたしから、お父さんの顔は見えなかった。
ジェクトさんはテーブルに手をついてうなだれている。アーロンさんはただ立っているだけだ。

「……あんな小さな子供を、置いていくのか」
ジェクトさんがうなだれたまま、呟くようにして言った。
返事はない。もしかしたら、父さんは頷いただけかもしれなかった。
「ユウナのことは、頼んである。街の人にも、私の親戚にも」
「それでいいのかよ!」
ジェクトさんがテーブルを拳で叩いた。その時、何もせず立っていたアーロンさんがジェクトさんの肩を掴み、思い切り頬を殴った。
鈍い音がして、突然の拳にジェクトさんは床に倒れた。
しんと、沈黙があった。ジェクトさんは頬を触ると、つばを吐いた。アーロンさんはジェクトさんを見下ろして、拳を握っている。
「それでいいと思っているわけないだろう!」
「だったら置いていくなよ!シンを倒すことなんて、他の誰かにまかせればいいじゃねえか!」
アーロンさんとジェクトさんの声は、わたしの足を父さんたちの下へと導いた。
ふらふらと現れたわたしを、床に倒れていたジェクトさんは体を起こし、アーロンさんは顔を上げて見た。
「ユウナ」
父さんがわたしを呼んで、わたしは初めて父さんを見た。
薄明かりの父さんは、少しやつれて見えた。わたしは手を伸ばして、父さんの足を掴んだ。

「お父さん、どこかへ行っちゃうの?」
掴んだ父さんの足は、やっぱり太かった。女の人みたいと思っていたが、やっぱり父さんは男の人なんだ。

「ユウナ、お父さんはシンを倒しに行くんだよ」
お父さん、わたし、父さんのこと大好き。ジェクトさんも、アーロンさんも、みんな大好きなの。
「ユウナ、シンは怖いだろう。ここは比較的安全だけど、やっぱりシンは怖いだろう?」
「怖くないよ。ユウナ、父さんがいたら怖くない。父さんが守ってくれるから」
「でもね、ユウナ」
父さんの大きな暖かい掌が、わたしの頭を撫でた。
父さん、大好き。父さんのおいしくない料理も、父さんの笑った顔も、全部大好き。
「他の人たちはどうかな。父さんみたいに、守ってくれる人もいない一人ぼっちの人だっているんだよ。そんな人達にとって、シンは怖いよね」
「知らない。わたし、父さんだけがいてくれたらいいの。他の人のことなんて……」
父さんがわたしの口に人差し指を当てた。「それ以上は言っていけないよ」と言い聞かせるように。

わたしに、母さんの記憶はない。
わたしが産まれてすぐ死んでしまったという母さんのことを、父さんの話でしかわたしは聞くことができなかった。
わたしには父さんだけだ。
父さんがいなくなったら、わたしは一人になってしまう。

わたしは両掌で耳を覆い、ゆっくりと瞼を下ろした。
いち、に、さん、と数えよう。真っ暗闇の向こうにある「現実」を受け入れるために、私は暗闇へと逃避しようとした。
目の前が暗闇に包まれ、いち、に、と数えたとき、わたしの目論みは父さんによって妨げられた。
「ユウナ」
わたしの両手首を掴んで、父さんは名を呼んだ。
わたしが目を開けるのを待って、父さんは言い聞かせるように、ゆっくりと言う。
「ユウナ、初めてジェクトを見たとき、どう思った?」
「怖かった」
わたしは正直に答えた。目の隅で、ジェクトさんのショックを受ける顔が見えた。
父さんはやっぱりね、というように微笑んで、続ける。
「でも、ジェクトとは仲良くなっただろう?」
「うん」
「それは、ジェクトをちゃんと見たからだよ」
優しい微笑を浮かべ、父さんは嬉しそうだった。いつもなら、わたしもつられて嬉しくなるのにこのときだけは違った。
手首を離し、今度はわたしの頭に手を置いて父さんは言う。

「ユウナ、世界を見てごらん」
「世界?」
「そう、世界だ。
いいかい、ユウナが目を閉じているとき、もしかしたら夜空の星が流れるかもしれない。海で鯨が顔を覗かせるかもしれない。
この人は怖い人だなと思って、その人を見なければその人のいいところも分からない。友達だって、そうだ。
ちゃんと目を見開いて世界を見てごらん。いろいろなものが見られるだろう。そんなとき、耳をふさいで目を瞑っていたら、何も見えない。
父さんがシンを倒しにいくことも、今のユウナには分からないかもしれない。だけど、いつかきっと分かるよ。ユウナがちゃんとそれを見つめ、人々から話を聞いたらね」
いい終えると、父さんはわたしを抱きしめた。

父さんの腕の中に、小さなわたしの体はすっぽりと納まった。
ほのかに香るにおい。ああ、これは海のにおいだ。
わたしの好きな海は、父さんと一緒の匂いがするんだ。

「父さん、父さん」
父さんの背中に手を回し、すがりつくように名前を呼び、どこにも行かせないようにと服を掴んだ。
なんだい、と父さんの声が耳元で聞こえた。父さんの声は不思議だ。まるで海のさざ波のように、わたしを優しく包んでくれる。
「ユウナ、いい子にしてるから。いい子にしてるから、帰ってきてくれる?シンを倒して、だいしょうかんしさまになったら、ユウナのところに帰ってきてくれる?」
いつもならつっかかってしまう「だいしょうかんしさま」が、今回はちゃんと言えた。
わたしの言葉に、父さんはやや時間を置いて「帰ってくるよ」と呟いた。
「ユウナのところに、必ず帰ってくるよ。父さんは、ユウナのことが一番大好きで、愛してるから」
それは母さんだって同じだよと父さんは言って、泣きじゃくるわたしの頭を撫で、袖で涙を拭いた。
「ユウナを一人にしないでね」
父さんは頷いた。寂しげな表情だった。


あのときの父さんは、きっと胸がえぐられる思いだっただろう。
あのときのわたしは、シンが恐ろしいものということと、シンを倒した召喚士が「大召喚士」になれるということしか知らなかった。
シンを倒すことと引き換えに、召喚士が死ぬとは知らなかった。
帰ってきて、一人にしないでと、娘に言われる父親の心情は計り知れない。
これが今生の別れになるかもしれないのに、父さんは笑っていた。そして言ったのだ、帰ってくるよと。

「リュック」
雷が鳴るたびに悲鳴を上げるリュックにユウナが声をかける。
体を震わせていたリュックは「ついにユウナが怒った!」と覚悟したが、ユウナの言葉は相反するものだった。
「リュック、がんばろ」
背中に手を置いて、耳を塞ぐリュックの手を優しく包みユウナは言った。
「この雷にも、きっと意味があるんだよ」
「どんな理由があるっていうのさー!こんな雷……あったって意味無いよ」
理由を聞かせてよー!と言い寄るリュックに、ユウナは眉を寄せて何かを考えているが答えない。
「ほらっ!ユウナだって分からないんだ」
「……でも、受け入れないとサンダー使えないよ」
「べつにいいもん。サンダーなんてルールーに任せてればいいんだよ」
「じゃあ、ルールーがいないときはどうするの?誰かが使えないとだめでしょう」
「あたしじゃなくったっていいじゃん。おっちゃんとかさ、使えばいいんじゃない」
「リュック」
先ほどからアーロンに小言を言われ続けたリュックが吐き捨てる様に言った言葉に、ユウナは強めに名前を呼んだ。
身構えるリュックに、ユウナは溜息混じりに言い聞かせる。

「誰かにまかせっきりじゃだめなの。長い旅だし、なにが起こるかわからないじゃない。この雷はね、きっと試練なんだよ」
「試練って?」
「リュックに対する試練なの。もし戦闘中にルールーがサンダーを使って、リュックが驚いてもう戦えない、ってことがないように与えられた試練なんだよ。
それでなくても、雷だって、いいところはあるんだよ」
よくわからないけど、を最後に小さく付け足したのをリュックは聞き逃さなかった。
一つ反論したいところだったが、それを飲み込む。ユウナのことは好きだし、困らせたくないと思ったからだった。
「なーんか言いくるめられたような気もするけど……あたしって、頼りにされてるってこと?」
「もちろん!」
満面の笑みで答えたユウナに気をよくしたリュックは掌を握り締めたり開いたりを繰り返した。
目は爛爛と光っていた。アルベド族であるというだけで差別を受けてきたリュックにとって、信頼とか、信じるといった類の言葉は何よりも力強いパワーとなるのだ。
だが、やはり雷の音は嫌いだ。そうそう慣れるものではない。だけど、少し頑張ってみようかなと思うのだった。


気を取り直し旅行公司を出発する。雷平原はあと半分だ。
リュックは怯えながらも必死に足を進めている。
アーロンは、先ほどからユウナをちらちらと見ている。
そういえば、旅行公司でのユウナの言葉を聞いたときにアーロンは密かに笑ったような気がする。
「ユウナ」
ついにアーロンが声をかけてきた。勘のいいアーロンのことだ、袖に隠し持っているスフィアがばれたのかもしれない。
身構えるユウナだが、アーロンの表情が柔らかいのに気づいた。
「さっきの言葉、ブラスカか」
なにを言いたいのか図りかねたユウナは「えっ?」と尋ねると、アーロンは「ああ」と言った後
「なにもない。気にしないでくれ」
踵を返し前へ進もうとするアーロン。旅行公司でのアーロンの笑みを思い返し、ユウナは慌てて呼び止めた。
「そうです、父さんの……父の言葉です」
アーロンが振り返る。目と目があったとき、雷が落ちて閃光が二人を照らした。
サングラス越しの瞳が僅かに揺らいでいるのをユウナは見た。彼もまた、過去を思い返す一人なのだと気づく。
「父の夢を、見ていたんです。覚えてますか?朝方、ジェクトさんが父に対して怒って、アーロンさんがジェクトさんを殴ったこと」
「ああ」
「そのときの父の言葉を考えていたら、ああいう風になって」
えへへ、とユウナは恥ずかしげに笑って首をかしげた。幼い頃を知っているアーロンに昔話をするのはどこか恥ずかしかったのだ。

世界を見なさい、と言った父の言葉に、幼いユウナが納得したわけではなかった。
幼い子供にしては難しく、真意はまだ先にならないと分からないだろう。
当時のユウナが分かったことは「父さんは行ってしまう」ということだけだった。
何を言っても、父は行ってしまうのだ。今まで欲しいものや、やってほしいことを泣きながら頼むことがあった。
父は困った挙句、ユウナの欲しいものを買ってやった。
そのたび、近所のおばさんから「甘やかしたらいけませんよ」と言われ、また困っていたのをユウナは知っている。
だが、シンを倒すということに対し、ユウナがいくら泣いても喚いても父が考えを変えないことに気づいた。
幼いユウナにとってそれは衝撃的であり、初めての「どうしようもないこと」であった。
わたしを一人にしないでね、という言葉は願いだった。
ブラスカは約束を破ったことがなかったので、せめてそれだけでも約束させようという幼い子供の健気な考えでだった。

世界を見なさい。
父の言葉を思い返し、ユウナは深く息を吸っては吐き出す。
袖にあるスフィアを服越しに触れて、形を指でなぞり、シーモア老師を脳裏に描く。

目を瞑っていては、いけないのだ。
ちゃんと見なくてはいけない。このスフィアの真理を確かめねばならない。
もし、ジスカルを殺めたのがシーモア老師なのなら罰を下さねばならない。
それが今のわたしにできることだとユウナは思った。

いつかきっと分かるよ。ユウナがちゃんとそれを見つめ、人々から話を聞いたらね

そう、シーモア老師に聞けば分かることだ。
父さん、わたしはこの道を歩いていこうと思うの。ユウナはこんなに、大きくなったのよ。

遠くで雷が鳴っている。
それは雷平原の雷か、それともわたしの胸を打ちつける落雷か。
進むべき道は、一つしかない。



「アーロンさん……みんなに、お話があります」




2007/05/09 meri
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