真冬になると、死んだ者が帰ってくる。
この地方ではそんな逸話が信じられていた。
その日、人々はキャンドルを準備し、ご馳走を作り、馴染みの者と酒を交わし、一晩中お祭りのように騒ぐ。
テーブルの上には生前故人が愛用していた皿やフォークを置き、誰も座らぬ椅子の前に食事を置くと、帰って来た霊はそこに座り、彼らと共に食事を楽しむのだ。
そして朝が来ると、霊は帰っていく。
冬が近づくと、ああ、あの季節になったのだな、と思う。寒くもないのに、冬の寒さが鼻を冷たくする。
人は皆幼い頃、ベッドの中眠りにつくまで母に教えてもらう。ランプが母の頬を淡く照らし、夕焼け色に染まる様をありありと思い出すことができる。
白い服を風に揺らし、我が家のドアをノックする人々を夢見る。母から子供へ、愛を込めてこの慣習は受け継がれてきた。

戦いに明け暮れていたときはもちろん、こんなことをする暇も、思い出すこともなかった。
しかし今日、料理を作っている最中、母の横顔を思い出して何度も微笑んでしまった。久しぶりのことに、自然と力が入る。
リビングでは大きな笑い声と共に、バレッドたちの声が聞こえる。
彼らの表情は一様に明るく、雪の降る寒い外とは間逆の暖かい空気が流れていた。
酒で顔を真っ赤にして笑う彼らを見つめるティファは微笑み、柔らかな視線で見つめていた。
屋根のある家で、穏やかな気持ちで夕食を食べられるなんて、あの頃は想像できなかった。
先の戦いから一年が経った。スラムは今でも混乱状態が続いているが、ティファの周りでは僅かに、ゆっくりと平穏が戻りつつあった。
新しいこの場所で、小さな酒屋を開くこともできた。
キッチンの隅に置いてあるキャンドルを見る。ビンに青い蝋が入っている小さなキャンドルは、電気に反射しきらりと光った。手に取り、角度を変えて見つめる。

「ジェシーたちも、帰ってくるね」
一日中ティファの手伝いをしていたマリンが言う。
マリンがいてくれなかったら、食事の準備や掃除が大変だっただろう。ティファはマリンの頭を撫でながら「そうだね」と答える。
新羅との戦いで死んだアパランチの仲間。
ジェシー、ビッグズ、ウェッジの故郷である七番街はもうなくなってしまったけれど、この家があなた達の家だというのはおこがましい考えだろうか。
新作のメニューを試食してくれたウェッジ、相談に乗ってくれたジェシー、いつも優しく時には叱ったビッグズ。
三人の姿と笑顔は鮮明に思い出せるのに、彼らはもうここにはいない。
「みんな、お肉が大好きだったから、きっと喜ぶわ」
ティファの言葉に、マリンは笑って何度も頷いた。
あの頃のように、彼らがテーブルについて酒を飲み、食事をして馬鹿笑いをしている姿を思うと、自然と笑みがこぼれた。

棚からマッチを取り出し、キャンドルに火を灯す。
キャンドルは全部で六つだ。炎が揺らぎ、ガラスの中で反射する。
その様が綺麗で、ティファはしばらく見とれると、キャンドルをバルコニーの手すりに置いた。夜の闇にキャンドルの炎が浮かび上がる。 
辺りの家々にも、キャンドルの火があった。その色はさまざまで、白、赤、桃色と色鮮やかだった。
幻想的なこの光景は、ここがスラム街であることを感じさせないものだった。
外から戻ると、バレッドたちはテーブルに突っ伏して、大きないびきをかいて寝ていた。
バレッドたちの体には毛布がかぶせてあり、マリンは腰に手を当て、まるで母親のようにやれやれと首を横に振っていた。
「偉いわ」
頭を撫でると、マリンは嬉しそうに笑うが、眠たそうに目を擦った。時計に目をやると、針は夜中を指していた。
今にも眠りに落ちそうなマリンの手を引いてベッドに入れる。毛布をかぶせ、お休みのキスをすると、マリンは目を細め微笑んだ。
すぐに穏やかな寝息が聞こえる。窓から差し込む月の光が、マリンの額をやさしく照らしていた。




「好きな花?」
ティファは髪を梳く手を休めて、エアリスを見た。エアリスは頷いて、「教えてほしいの」と言う。
好きな花は?と、突然の質問に、ティファは首を傾げた。
スラム街では当然、花なんてなかったし、エアリスに出会ってから花の種類や名前を覚えたものの、花と言われてすぐに思いつくほど、花に詳しくはなかった。
「花ねえ……すぐには浮かばないなあ」
「そうだよね。思いつかないよねえ」
エアリスは、ティファの答えに困ったように笑った。髪を梳きながら、エアリスをじっと見る。
エアリスはいつも早く起きる。今日も、ティファより一足先に身の回りの整頓をして切り株に座っていた。
腰まで伸びた栗色の髪が、太陽の光に艶やかに光っていた。

「どうかしたの?急に」
「あのね、ティファ。何かないの?その、家族の誰かが好きだった花とか。魔洸炉ができるまで、花とかなかった?」
エアリスの言葉に、頭をひねって「あ!」と声を上げる。
「あったわ、ニブルヘイムに花があった」
母がまだ生きていたころ、家の前の小さな花壇に、毎年咲いていた花があった。小さくて、白い花。
私はそれが大好きで、花をちぎっては母に怒られた。なにより、母に構って欲しかったから私はわざと花を摘んだのだ。
「母が育てていたの、小さな……これくらいの白い、小さな花が咲くの。可愛くて、好きだった」
親指と人差し指で、大体の大きさをエアリスに見せる。エアリスもティファを真似て、親指と人差し指を開けて、首をかしげた。
「変わった花ね」
「エアリスは見たこと無いの?あんなに花に詳しいのに」
「気候とか、土地とかあるでしょ?スラム街はあんなところだったし、見たことのない花、たくさんあるの」
エアリスは笑って言って「ありがとう」と言った。
「調べてみるわ」
分かったら教えるわね、と言って、エアリスは大きく伸びをした。森には頭上から燦燦と太陽が降り注ぎ、体を暖かく包み込んでいた。



 終わりが見えない旅の途中での何気ない会話。エアリスと話したことは沢山あったのに、どうしてこの会話を覚えているのだろう。
 顔を上げると、ティファは教会の前に立っていた。暗闇の中、教会のぼろぼろの扉は生き物のように口を開けてティファを待ち構えていた。
 どうして私はここにいるのだろう。まるで夢遊病のように、ここまでふらふらと歩いてきたのだろうか。
家からの道のりを思い返してみるが、思い出せなかった。
マリンを寝かしつけて、月の光を見ていたらエアリスのことを思い出して、それから……考えるが、わからない。
見えない力で導かれたという表現がぴったりだ。
 そういえば、戦いが終わってから教会へ来たことがないことを、ティファは思い出した。身震いがして腕をさすった。

この教会を訪れるのは二度目だった。一度目は、確か旅の途中でのこと。偶然手に入れたゲートの鍵を使って、スラム街へ戻ったことがある。
ティファはまず七番街のことを思い出し、虚しい行動と知りながらも七番街の方角を振り返った。
大嫌いな神羅の下にある七番街。私は七番街を愛していた。故郷と愛しい人々を奪った神羅から与えられた七番街を、私は愛していた。
異臭が鼻をつき、ネズミが駆け回る決して住み心地が良いとは言えぬあのスラム街だったが、かけがえのない「家族」がそこにいた。
だが、神羅は一度ならず二度までも、私の「家族」を殺したのだ。
怒りなど湧かなかった。血が滲むほど下唇を噛み締めることも、涙を流すこともなかった。ただ、心の風穴が乾いた音をたてるのだった。

エアリスは、教会を見たいと言った。彼女のことを羨ましいと思った。
教会は美しかった。埃を被り割れているステンドグラスから差し込む七色の光が教会を彩り、祭壇の元にある花畑を照らしていた。
それはまるで、神がスラムの暗闇に一筋の光を注いでいるようだった。咲き誇る小さな花に、エアリスは歓声を上げて走り寄った。
エアリスがここで花を育てていたということをクラウドから聞いていたティファは、花は枯れているだろうと思っていた。
だが、小さな花弁を広げて花は咲いていた。
「わたしがいなくても、花は生きていくのね。誰かが世話をしてくれたお陰で、こんなにたくさん」
エアリスはそこで声をつまらせ、花弁を優しく撫でた。
荒廃したスラムに咲く小さな花は、小さいながらも確かな生命力を放っていた。
その花は、太陽の光が届かぬスラム街で暮らす人々を彷彿させた。
スラムらしからぬ光射す庭とエアリスは、一枚の絵のように美しかった。今なら、神を信じられるとティファは思った。
花弁に触れる。しっとりとした感触、花の香りを体中で感じ、ティファは目を閉じた。
土の匂いが鼻腔をくすぐり、生まれ育った村が瞼の裏に広がった。それと同時に、母の笑う姿も。花が大好きだった母は、いつも花の香りがした。
「嬉しい。これで安心」
エアリスは笑っていた。どこか寂しげな笑い声は、今でも耳に残っている。

ティファは過去を思い出しながら、教会に入れないでいた。根を張った植物のように動かない。
冷たい風が容赦なくティファの体温を奪っていく。そうしていると、背後に気配を感じた。それと同時に、聞き慣れた声も。
「ティファさん?」
ティファは振り返った。背後に立っていたのは女性だった。茶色のロングコートを着て、首には暖かそうなマフラーを巻き、手袋を嵌めていた。
白髪混じりの栗色の髪、目元に入った細かい皺。
「エルミナさん」
ティファが呟くと、エルミナは「こんばんは」と言った。聖職者のような、清らかな微笑だった。
「どうしたの?こんな夜中に」
エルミナの質問を胸の内で反芻して、ティファは黙っていた。足が動かなければ、口も動かすことができないなんて、まるで植物のようだと思う。
何もこたえぬティファの様子を見つめていたエルミナだったが、一つ息を吐いて
「中には入らないの?」
と、一言言った。
「え?」
「教会、入らないの?そのためにここに来たのでしょう?」
にこりと笑って、エルミナは教会に入っていった。
暗闇の教会に一人入っていくエルミナの背中を見つめ、ティファはどうしようかと迷ったが
夜中のスラム街にエルミナを一人にすることもできず、ティファはエルミナの後をついていった。

教会に足を踏み入れると、床は軋んだ音を立てた。
広い教会に響く音は不気味だ。長年放置された結果、床は所々腐れ落ちていた。
暗闇に包まれた教会で、唯一の光源は頭上から差し込む月の光だけだった。前を行くエルミナは頻繁に教会に来ているためか、確かな足取りで歩いてく。
一方ティファは床を見るために、前かがみになりながら慎重に歩く。木製の長椅子に手をかけると、椅子は雨に濡れていた。僅かな力で木はぼろぼろと地面に落ちた。

以前訪れたときは、もっとましだったような気がする。時の流れを感じて祭壇を見ると、月の光が花畑を照らしていた。花畑には、白く浮かび上がる花があった。
旅の途中、訪れたときに咲いていた花とは別の花が咲いていた。
目をこらして見つめて、はっとした。動揺を抑えて、ティファは冷静を装った。
「それ、先日咲いたのよ」
「種はどこから?」
ティファは尋ねた。
「エアリスからの手紙でね」
エルミナはぽつぽつと語りだした。

ある日、リーブ経由でエルミナ宛に手紙が届いた。
それはエアリスからの手紙で、手紙には元気にしていること、お母さんは元気かという何の変哲も無い手紙だった。
「だけどね、その手紙に花の種が同封されていたの。手紙には花の名前も書いてあったわ。私が帰ってきたら育てるから、それまで大事に持っていて、って」
だが、エアリスは帰ってこなかった。手元に残った種を育ててみようとエルミナは思い立ち、この教会に種を埋めたという。
「こんなに綺麗な花が咲いたの」
少女のようにエルミナは笑っていた。
月明かりに照らされた白い花は、一つの茎に五、六個の、小さな提灯型の花を咲かせていた。
「エアリスは」
自然と、ティファの口から言葉が溢れた。この教会で初めて発した言葉だった。
ティファは話した。旅の途中でのエアリスとの会話を、エアリスが教えてくれた花の種類を、エアリスが教えてくれた歌を。
そして、エアリスのことを思い出していて、気づくと教会の前にいたことも。

切々と話すティファを、エルミナは時折頷き、時折笑って聞いていた。
そうね、エアリスはその花が好きだったわ、その歌もよく歌っていたわ。
エルミナの声は心地よかった。まるで母が側に居るような錯覚を抱いてしまうほどに。
どれほど話しただろうか。喉が僅かに痛み、ティファは咳を一つした。話していると、不思議と寒さは感じなかった。
エルミナはティファをじっと見つめてから、肩にかけていたバッグをあさると「あった」と、まるで子供のような口ぶりで、バッグからあるものを取り出した。

エルミナの手にあったのは、数枚の手紙だった。
「これが、エアリスからの手紙よ」
言って、ティファに手渡した。
 茶封筒に入った手紙だ。月明かりに透かすと、薄い茶封筒の中が僅かに透けて見えた。
横に長方形の茶封筒の隅に、小さな種が二、三個入っているのが分かった。
「見てもかまわないわ」
「でも……」
「いいから、読んでみて」
どうぞ、と手で促して、エルミナは笑っていた。
人に宛てた手紙を見るなんて気が引けたが、ティファは促されるままに茶封筒の中から手紙を取り出した。
エアリスが旅の途中で書いたという手紙。何が書いてあるのだろうかという好奇心と、僅かな不安が胸に渦巻いていた。
手紙は日記のような内容だった。何日に食べたご飯はおいしかったとか、空はとても綺麗だったとか、他愛のないことが書かれていた。
スリリングな日々がとても刺激的だと、神羅の飛空挺に乗りたいと。そして、お母さんは元気かと最初の一文に必ず書かれていた。
同封されている種に関する説明、保管方法、教会の花の状況など、二枚の便箋にぎっしりと、エアリスの達筆な文字があった。

「エアリスはね」
手紙に食いつくように読み進めるティファの隣で、エルミナは独り言のように語った。
「旅に出てから、手紙を出したいと思っていたみたいなの。でも、結局はリーブさんに出会うまで送れなかったみたい」
手紙の最後には必ず日付が書かれていた。
エアリスは毎月手紙を書いていたようだが、郵便の手違いか、手紙を書いた日の数ヵ月後の消印が押されている手紙が半分以上あった。
そういえば、エアリスは宿に泊まると必ず何かを書いていた。手紙を書いているのだ、とティファは気づいたが、何故か聞けなかった。
手紙を書いているの?と尋ねる自分の姿を想像すると、理由なく胸が締め付けられるのだった。

「そこにあるのはね、ほんの一部なの。種が入っているのがその八通だけ」
エルミナはそこまで言うと、地面を見つめた。花畑には雑草など生えておらず、月に照らされた花々がまるで御伽噺のワンシーンのように美しかった。
「この種は、あなた達が好きな花らしいの」
ティファは一瞬耳を疑った。エルミナは俯いてから、顔を上げて笑顔を作った。無理矢理作った笑顔の口元は震えていた。
「手紙に書いてあったわ。あの子ったら、旅から帰ってきたら花を育てるつもりだったのよ」
瞬時に、エアリスの笑顔が脳裏を過った。私に好きな花はなにかと尋ねるエアリス。
子供がプレゼントの箱を開けるときのように、大きな瞳をきらきらと輝かせていたエアリス。いつも明日のことを話していたエアリス。
「ね、ティファさん。この花は、あなたが好きな花よね?」
エルミナの質問に、ティファは小さく頷いた。

そう、目の前にある花は、あの日私がエアリスに話した花だった。
花の香りが強くなる。目の前の白い花。ニブルヘイムで幼い頃、母の気を引くために摘んだ花。あの日、あの森の中でエアリスに語った花。
教会に足を踏み入れたとき、分かったのだ。あの花だと。エアリスに教えた花だと。だが、私は冷静を勤めた。
なぜ?自分に問うが、分からない。分からないことが多すぎて、私は素直になれないでいる。
私はエアリスの存在を、エアリスがこの世に残したもの全てを受け入れたつもりでいたが、その全てを受け止めることができなかった。
エアリスを思い返すと、私はどこかに逃げ出したくなるのだ。エアリスを思い出すと、エアリスの最期が目の前に浮かび上がるのだ。
今まで教会に来なかったのはその理由からだった。

あの時、私はそれを見ていた。
走り出したら間に合っていただろうか?
祈りをささげるエアリスをみとめたとき、走り出して腕を引っ張り、あの祭壇から引きずり下ろしていればよかったのだろうか?
だが、エアリスの祈りがあったからこそホーリーが発動したのではないのか。
どれが最善の行動だったのか?
悲しみに身を預け、怒りに力を任せていれば楽だった。
セフィロスを倒すという目標をひたすらに見つめ、他のことは意識的に遠ざけていれば楽だった。
だが、戦いが終わり「日常生活」が始まったとき、私は苦悩した。ふとした瞬間にエアリスを思い出す。
ゴミまみれの道を歩いていると、そういえばエアリスもこうしてここを歩いていたと思う。
道端に咲く花を見るだけでエアリスの姿を反射的に思い出す。

花に手を伸ばす。提灯のような白い花は、全部で三つあった。この教会は以前と変わってしまったが、土の香りはあの頃のままだ。
「……エアリス」
ティファは声に出して名前を呼んだが、答える者は誰もいない。
ただ、暗闇の教会の祭壇の下、しゃがみ込む女がいるだけだ。
花をそっと両手で包み込んで、大きく息を吸う。花の香りが胸を満たす。

手紙を書いているのかと聞けなかったのは、私はエアリスに少なからず嫉妬していたからだった。
七番街は瓦礫の底へ沈み込み、大事な人々も瓦礫の奥深くへ消え失せた。
生まれ育った故郷は炎に包まれ、狂った英雄に村人や父は殺された。母とは幼い頃に死別し、私に帰る家はなかった。
だが、彼女には帰る家がある、手紙を送る場所がある……清らかな心でそれを見つめる自分と、嫉妬の瞳でそれを見つめる自分がいた。
 エアリスは、私以外にも聞いていたのだろう。種が入っている手紙は旅を共にした仲間の人数とぴったりだ。

帰るつもりだったのだ。
光届かぬこのスラム街へ帰ってくるつもりだったのだ。
ベッドに入り未来を想像し、花が咲いたら、みんなを呼んで驚かせてやろうと思って口元に笑みを浮かべたに違いない。
種はちゃんと保管してあるだろうかと気になったに違いない。
だがエアリスはここに帰ることはなかった。未来を信じていたのに、未来にエアリスの姿は無かった。

「エアリス、エアリス」
 切なる声は暗闇に消えた。何を言っても無駄だった。
エアリスは、醜い感情を持っている私の好きな花を育てようとしてくれた。
エアリスの残したものを受け入れられないということは、エアリスの存在を否定することと同じなのに、私はなんてことをしていたのだろう。
大好きだった、強くあなたに憧れるほどに。

ティファはエアリスの名を呼びながら、何度も何度も胸の内で同じ言葉を囁いていた。
 肩に手が置かれた。顔を上げると、エルミナがティファを潤んだ瞳で見つめていた。ティファは気づいた。
エルミナもまた、私と同じなのだと。

「ずっと前、話したわよね。私の夫が死んだとき、エアリスが言った言葉。星に還ったから、大丈夫。寂しくないって」
エルミナが笑うと、目元に入った皺が深く刻まれた。
「今なら分かるような気がするわ。そして想像するの。この星をぐるぐる廻るあの子は、疲れたらきっと、この教会で一休みするんだって」
エアリスが降り注ぐ太陽の光を体中で受け止め、目を細めている姿を想像する。
エアリスは地面に座り足を伸ばし、地面に手をついて体中で太陽を浴びるだろう。そして花を触るのだ。エアリスなら、きっとするだろう。
「今日は特別な日だもの。きっと近くにいるわ。私たちを見て、笑っているかもしれない。いいえ、だめね、って怒っているかもしれないわ」
そこで言葉を切って、エルミナは自分の言っていることが楽しかったのか、はたまたエアリスのことを考えていると面白くなったのか声を出して笑った。
だが、笑ったあとの表情は、先ほどに増して悲痛な表情だった。

「ティファさん。この花はね、すずらんっていうのよ」
白い花を見つめる。ぶら下がっている姿は提灯にも見えるが、たしかに鈴に似ているかもしれない。
「へえ」とティファは声を漏らした。すずらん、口の中で呟いて、白い花が身近に感じられた。
「君影草、という別名もあるの。エアリスの影ばかりを追っていたら、あの子、安心して星を廻れないじゃないかしら」
やっとの思いで搾り出した言葉のようで、エルミナは言い終えると大きな吐息をはいた。
一言に、エルミナの全てが注ぎ込まれているように感じた。今の言葉は、エルミナにとって重大な言葉だったのだ。
きっと、自分自身に向けた言葉であったのだろう。

「もう、十分頑張ったし、楽にさせてあげないと可哀想でしょう?それに、子供に心配される親なんて情けないじゃない」
 エルミナは冗談交じりで、だが半ば本気で言った。「確かに、エアリスは安心できないかも」
 ティファの言葉に、エルミナは一度頷いて「そうでしょう」と言った。
言った後、ティファの手にある手紙を一通取り、エルミナは中から種を出した。二個の種は、エルミナの手の中で月明かりに照らされ小さく光っていた。
エルミナの手は傷だらけで、生きてきた年月の凄まじさを物語っていた。

「今度はこの種を植えるの。これは、誰が好きな花だったのかしら?」
 まるでクイズみたいね、と笑って、また封筒の中に種をしまった。クラウドかしら、ユフィかしら、それともシド?
ティファは皆の顔を思い返してみるが、とても検討がつかなかった。
「私にも、お手伝いさせてください」
 ティファの口から、自然と言葉が零れていた。春に桜が咲くように、なんの迷いもなく、その言葉が至極当たり前のことのように零れた。
ティファ自身驚いていたが、エルミナのほうが驚いている様子だった。が、すぐに瞳が糸のように細くなり、エルミナは頷いた。
「頑張りましょうね」
 エルミナの言葉を聞いて、ティファは初めて心の底から笑った。今までのわだかまりが、清らかな水に流されていく。

「マリンちゃんの好きな花も植えましょう。みんなの好きな花を植えるの。そして、花が咲いたらみんなを呼んで驚かせるなんて、どう?」
 悪戯を思いついた子供のように、エルミナは瑞々しい笑顔で言った。
いいですね、驚かせましょう、とティファは返して、もうそろそろ帰ろうと提案した。
きっともう、真夜中は過ぎて朝方になっているころだろう。
 慎重に道筋を確認しながら歩いた。身をかがめて、ゆっくりと。エルミナは一足先に教会の外に出て、ティファを待っている。
 ふと、エアリスが側に居るような気がして顔を上げ、花畑を振り返る。こんな日だから、そんな気にさせるのだろうか?
 もしかしたら、教会に導いたのはエアリスかもしれない。エアリスと柔らかな月光は似ていると思う。
「ありがとう」
 ティファは一人呟いた。以前、花を見て笑ったエアリスの笑い声が鮮明に蘇った。
同時に、どこからか声が聞こえたような気がしたが、それは隙間風だろう。
だが、それでも構わないと思った。きっと、エアリスは側にいるのだ。未来を信じ、未来を愛していたエアリス。
ここがあなたの愛した世界。あなたの信じた未来。
私は全てを受け入れて、あなたの残したもの全てを愛そう。そして私が永遠の眠りにつき、あなたと共に里帰りができたらいい。


その時、私はあなたに自慢するわ。素敵でしょう、ここが私達の故郷よと。
 そのときはエアリス。どうか私に優しく微笑んで。あの暖かい眼差しと、花の香りを引き連れて。










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