このどこまでも続く悲しみはどうすればいいのだろう。
私は一人、海岸に立ち指笛を吹いているというのに、海は引いて寄せるだけだ。
足元に絡みつく悲しみ。このまま海の底へ沈んでしまいたい。この海は私をもみ消してくれるだろう。
そして私は海の底で貝になる。誰の声にも耳を傾けず、ただキミの声だけに口を開こう。








まぶしい。
目覚めてまず思ったのはそれで、頭上には燦燦と光る太陽があった。
手をかざして光を遮る。目が痛み、瞼を下ろしてじっとそれが収まるのを待つ。
じんじんとした痛みは目の中で疼いたが、頬を撫でる風が心地よく、痛みは早く引きそうだと思った。

ふと、私はどうしてここにいるのだろうという疑問が起こった。
ここはどこだろう。目覚めてから見たのは太陽だけで、私は外にいることになる。
私はどうやってここまで来たのだろう?ここはどこ?キマリは?みんなは!?

「ユウナ」

頭がパニックに陥っているとき、聞きなれた声が耳に触れる。
声の方向は頭上から私に語りかけている。
「……だ、誰!?」
「誰?」
起き上がろうと身を起こすと、ぐいと肩を押され地面に押し戻される。
さらに、手で目隠しをされた。暗闇につつまれ、昔した遊びを思い出す。

「誰とは酷いッスね!……ちょっと傷つくッス」
ふてくされた口調で言うのは手の主だ。独特の語尾。明るい口調。
「ああ!ティーダ!」
「せーいかい!」
声と同時に、暗闇が解ける。太陽と重なり笑うティーダがそこにいた。
「あっ、そっか。今日は――」

思い出した。
私達二人は散歩に出たのだ。私達はあれから結婚した。
ビサイド島に小さな家を一軒構え、ティーダはビサイドオーラカのリーダーになった。
結婚式は小さなものだったが、とても嬉しかった。頭上から降り注ぐ花びら、歓声を上げる人々。
あれから数年の月日が経ったが、大召喚士となった私を訪ねる人々は絶えなかった。
笑顔で接してきたがそれにも疲れ、溜息しか口に出てこなくなったある日、ティーダが提案した。
散歩に行こう。小高い丘の上。ビサイド村の人しか知らぬ場所へ。

「ユウナ、酷いッス。勝手に寝ちまうし。しかも旦那を誰呼ばわり」
「ごめんごめん!」
ぷいと背中をむけるティーダに謝る。どこまでも広がる草原に立つティーダは、とても絵になった。
私が画家になったらどのような題名をつけるだろう。草原と青年?だめだ、私にはセンスというものは皆無だ。
背を向けていたティーダは振り返り、にこりと笑った。輝く笑顔だった。
旅の間も、皆にその笑顔を振りまいていた。いつからだろう、その笑顔を独り占めしたいと思ったのは。
小高い丘から、海は見えない。ビサイド島の名物と言われる透き通った海。ティーダが現れた、どこまでも続く海原。
「ユウナ、どうしたッスか?ボーっとしてる」
さくさくと私の元へ歩きながら尋ねるティーダに笑って言う。
「ビサイド島にこんな場所あるんだね。海も見えないよ」
私の言葉に、きっとティーダもそうだな、と笑ってくれると思い、それを期待した。
だが、その期待は脆くも叶わなかった。ティーダの私を見る目が驚きで見開かれ、次に目を細め笑って言う。
「やだなあ、ユウナ」
肩を叩いて、どうかしたか?と額を触り、熱まで測られる。想像との違いに私は少し困惑した。
やだなあ、とはどういう意味なのだろう?ビサイド島は海に囲まれた島なのに。
「……どういうこと?ビサイド島は……海に囲まれた島でしょう?」
心臓が大きく高鳴る。ティーダは首をひねり、これはいよいよ困った、という顔をした。まるで私が間違っているような見方だった。

「さっきからどうしたッスか?ビサイド島?どこだよそれ」

鼻で笑ってティーダは言った。大丈夫か?とまた額を触るが、それは現実味を帯びていなかった。
ティーダは笑って語る。ビサイド島などここにはないことを。ここは陸続きの町で、島ではないよ、と。
「……シンは?」
「シン?なんだそれ。誰かの名前?」
今度は声に出してティーダは笑った。私の言うこと全てが否定されていく。
私の頭はいよいよ混乱して、手がかたかたと震えた。ティーダの肩に手をついて、ふらふらと歩き出す。
手が震えて、それを抑えるために手を合わせる。それは祈りの形に似ていた。足も手と同様震え、うまく歩けない。
途中何度も地面に手をつきながら、私はようやく丘の淵へたどり着いた。
盆地となっているビサイドは、ここから見渡せるほどの、小さな村だ。きっと、きっとティーダは私を脅かしているに違いない。
あと一歩足を踏み出して、そして眼下に広がるのはあのビサイド村だ。
意を決して足を踏み出す。ビサイド村、ビサイド村と呪文のように呟きながら。





子供の手を引き笑う女性の姿、空を飛ぶ乗り物が眼下に広がる。遠くには楕円形の巨大なドームが見えた。
ビサイド島の見慣れた小さな家はそこにはなく、二階、三階建ての立派な建物が連なっていた。
レンガ造りの通りを挟んだ家と家のベランダに紐が括り付けられ、垂れ幕が下がっている。
『ようこそ!笑顔の街―――へ!』
見たことも、聞いたこともない名前だった。これがこの町の名前なのだろうか。
まるで劇をみているような気分だった。ただ愕然と町を見下ろし、展開される人々の日常を私は観客となって見ている。
終わりの幕はいつになったら引かれるのだろう。ねえ、ティーダ。もう疲れたよ。早く家に帰って、ご飯にしよう。
今日はどんな夢が見られるかな。今度のブリッツボールの試合は、勝てるかな?

「……ユウナ?」
殻へ篭ろうとする私だったが、ティーダの声で現実に引きずり戻される。
町から逃れるように、後ざする。ティーダにどんと当たり、私はティーダを見上げた。
「ブリッツボールはどうなってるの?練習はどこでしているの?ワッカさんは?ルールーは?」
腕を掴み、揺すってたずねる。ティーダの瞳は私と同じ色をしていた。信じられないという、驚愕の瞳だった。
ティーダは私の肩を掴み、そして抱きしめた。優しい汗の香りがした。
日焼けした肌も、この汗の香りも、この声も、ティーダに対する想いも、全てあの頃と変わらないのに、この見知らぬ町は一体なんなのだろう。
底のない黒々とした沼に引きずり込まれる思いだった。
胸に疼く恐怖、喉をつく絶叫。全ては私の体を駆け回り、出口のない恐怖は色を変えて襲い来る。

「疲れたんだな、家に帰ろう」
酷く優しい声で、ティーダが耳元で囁く。ごめんな、となぜかティーダが謝った。
帰る家とはどこだろう?この見たこともない町へ?
私の家はビサイド島なのに?あの島が、あの村が、あの村の人々が私の故郷なのに!!
感情が高ぶり、ティーダの胸を押し返した。
膝をつき、地面に手をついた。
ティーダはわけの分からない私の行動に驚いているようで、ただ呆然と見ているだけだった。
ユウナ、と名前を呼び腕をつかまれるが、私は必死にそれを振りほどいた。
逃げ出したかった。だが足は震え、立ち上がることさえできない。

「ビサイド島も、ブリッツボールも、全部、全部忘れたの!?ザナルカンドエイブスのエースって言ったじゃない!!」
悲鳴に近い声で叫んだ。
ティーダの足に縋り付き、私は気付けば泣いていた。まるで子供のように、涙は止まることを知らなかった。
ただひたすらに怖かった。私の言うことを肯定しないティーダが、何も答えぬティーダが、全て形を変えたこの世界が怖かった。
「お願い……お願いだから……頷いて……ティーダ……」
「ユウナ」
駄々をこねる子供をあやすように、ティーダが名前を呼ぶ。
腕をつかまれ立ち上がるよう促されるが、立ち上がろうという気力は起きなかった。

今までのことが頭の中で繰り返し流れた。
試練の間で出会ったあの日、私を助けにきてくれたあの日、初めて唇を重ねたあの日。
「ティーダ」
ぐちゃぐちゃになった糸がピンと張り詰めるような感覚を覚えた。
頭はずきずきと痛み、目の奥は燃えるように熱かった。目の奥の痛みは悲しみによるものだと知っている。
涙を拭って顔を上げると、そこには私の腕をつかむティーダの姿があった。彼は私を見て微笑んだ。
それはあの日のままで、私も変わらぬ笑顔でそれに応えた。
「さようなら」
突然の言葉にティーダは目を見開き、言葉を発しようとしなかった。

今まで私には忘れられない日々があった。
生まれてから、キミに出会うまで。キミに出会ってから、シンを倒すあの日まで。
忘れられぬ日々には楽しいことが沢山あったし、悲しいことも沢山あった。
私はキミを失った悲しみに耐えることができなかったんだ。
あの日は決して忘れてはいけない日だった。私はそれを更地にして、新しい夢を植えつけようとしていた。
キミと過ごしたかったあれからのことを。叶わなかった夢を。

「夢を見るのは、おしまい」

笑って言えただろうか?拭った涙はもう出ていないだろうか?
声は微かに震えているように感じた。
ティーダの私を握る手の力が徐々に弱まる。彼の表情は笑顔のままで、そのまま後ろへ歩き出し、背中を向けた。
草を握り締め、彼の背中を見つめる。今、走り出したらきっと追いつけるだろう。
でも私はいけない。いってはいけない。
ここは私の住む世界じゃない。あの人は私が好きだったあの人だけど、あの人じゃない。

帰ろう、故郷へ。
そして、目を開けてすべてを受け入れるんだ。










ルールーの呼びかけにユウナは目を覚ました。
冷静沈着なルールーは珍しく取り乱しており、ユウナが目を覚ましたことにほっと安堵の息を吐いた。
「倒れていたのよ、覚えてないの?」
辺りを見渡せば、そこは見慣れた砂浜だった。
先ほどの街はそこになく、穏やかな海が広がっている。
「……心配かけたね、ごめん」
そんなことないわ、とユウナの言葉にルールーは返した。
波打ち際に倒れていたせいだろう、ユウナの服は海水に濡れていて、寒かった。
さっきここに来たのは昼間で、空には太陽が覗いていたというのに、今は夕暮れで、太陽は海に沈もうとしている。
どれほど気を失っていたんだろうかと思うが、ルールーに聞こうという気は起きない。
身を震わせると、ルールーが腕を優しく掴み、帰ろうと促され、ユウナは一度頷いた。

「ここで何をしていたの?」
帰り際、ルールーはユウナに尋ねた。
「知ってるでしょ?」
「そうね……」
ユウナが毎日のようにここへ来ては、海に向かって指笛を吹いていることをルールーは知っている。
何も言わなくてもルールーは笑って行ってらっしゃい、と言ってくれた。
それなのに、どうして今日はそんなことを尋ねるのだろう。
不思議に思っていると、ルールーは小さく呟いた。
「ユウナがどこかへ行ってしまう気がして、ちょっと怖くなったから」
寂しげな言葉だった。
先ほどの光景を思い出す。背を向け去っていく彼を追いかけようとした自分。
彼を追いかけていたら、私は一体どうなっていたのだろうか。
「私はずっとここにいるよ!どこにもいかない!」
幻想を振り切るように、できるだけ大声で、そして明るく言った。
その言葉に微笑を返して歩みを進めるルールーの後に続いて、ユウナは一人歩みを止めた。

いつも見慣れた海を振り返る。
夕日の光を反射して、海は黄昏色に色を変えていた。
今日は特別な海のような気がした。あの人に会えた海、決して現実ではない、だけど幸せになれた海。
無性に泣きたくなって、涙を必死にこらえた。これ以上大切な人を困らせたくないという思いからだった。

さようなら、決別の思いを心の中で口にして、また会おうね、と再開を誓う言葉を口に出した。
青々と茂る草原の中、背を向け佇む彼の姿を私は一生忘れないだろう。





遠いあの日。彼の背中に、彼の掌に、彼の声に、彼の笑顔に恋をした。





彼の全てが恋だった。













2006/3/29 meri.
























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