乱暴にドアを閉め、肩に担いでいた荷物をソファーに投げ置く。
「ちくしょう。あいつら本気でブリッツしてんのかよ」
独り言を吐き、髪をがしがしと掻いて大きく叫ぶ。
今日の試合は惨敗だった。ファンは明らかに落胆していたし、観客席から野次を飛ばされる始末だ。
記者には「お父様がお亡くなりになられて九年ですが、それも関係しているのでしょうか?」と試合後マイクを向けられた。
「いや、別に」と言葉を濁して会場を後にした。自然と足が速くなっていた。まるで追放者のようでおかしな気分だった。

「物に当たるな。そして叫ぶな」

キッチンから声が聞こえた。ちらりと垣間見えた赤い服に、またかよ!と声を上げる。
壁から顔が現れる。そこにいたのはアーロンだ。
アーロンは何も言わずに酒瓶に手をかけた。アーロンが近づくと、つんと酒の匂いが鼻に付いた。
「何の用だよ。今日の試合のことでも言いに来たのか?だいたい人の家に勝手に上がりこむなよ。せめて連絡しろよ。酒飲みすぎ。臭い」
息継ぎもなしに言って、すこし苦しい。

アーロンはオヤジが死んでから俺の前に突如姿を現した。
オヤジの友人だと語ったが、オヤジが死んでからというもの、今まで会ったことも名前を聞いたこともない親戚や友人が一気に増えた。
遺産目当てだということは目に見えて分かったし、母さんは遺産相続や自称親戚、友人の対応に追われていた。
それが母さんの急死の原因の一つだと思う。だが、母さんはアーロンを信じたようだった。
言い寄ってくる人々の中で母さんが信じたのはアーロンだけだった。
そうして俺達一家に急接近したアーロンはいつの間にか合鍵を作り、時折ふらりと俺の家に現れる。
時には家に勝手に入り、俺を待ち構えていることもある。
普段何をしているのかは不明だ。以前聞いたことはあるが「さあな」と返ってきた。
自分のことが分からないとは、病院を紹介したほうがいいだろうかと考えることもある。

アーロンはティーダの訴えを無視し、酒を口に含み、ふん、と鼻を鳴らす。
「今日の試合は惨敗だったな」
「見てたんだな」
「いや、街の連中が散々に言っていたのを小耳に挟んだ」
「チームメイトの奴らが悪いんだ。相手の動きについてこれなかった」
そう言いながら、ティーダは負けたことを他人のせいにし、正当化しようとしているようで何故だか焦った。
だけど実際、相手の動きについてこられたのはティーダだけだったし、周りのチームメイトは動きが鈍かった。
アーロンは横目で一瞥すると、そうか、と小さな声で言った。

それからしばらく間をおいて
「今日で九年だ」
あえて主語を入れない言葉に、ティーダは少し切なさを感じた。
いないことを肌に感じ、宙ぶらりんでふらふらと頼りない。
「だからって何で来るんだよ」
「泣いているかと思ってな」
「泣くわけないだろ」
「……そうだといいがな」
はなから信用していない口ぶりに、普通の人ならかちんと来るだろうが、ティーダはもう慣れていた。
その裏にある優しさも分かっていたし、アーロンは嫌いじゃない。
「……オヤジは嫌いだったし、別にどうだっていいよ。ブリッツ教えてくれたのは感謝してるけどさ」
また、アーロンはそうか、と言った。なにをどうしていいのか分からないときの、アーロンの癖だ。

氷水を飲もうとコップに氷を注いでいた手を休め、過去に目をやる。
オヤジはいつも海でトレーニングをしていた。
「止まった水はダメだ、てんで相手になんねえ。やっぱり男は海よ」
それはオヤジの口癖だった。
そうしてオヤジはいなくなった。海のトレーニングから帰ってこなくなり、遺体も見つからなかった。

「別に悲しくもなんともないよ」
コップに水を流しいれ、一気に飲み干す。
アーロンはティーダの一連の動作をじっと見つめると、また「そうか」といった。
それから懐に手をやって、一つの袋を取り出した。
「これをやろう」
まだ早すぎるような気がするがな、と付け足して、アーロンはそれをティーダに手渡した。
薄汚れた──血だろうか?変色した斑点がぽつぽつと付いていて、袋は麻でできたお粗末なものだった。
薄い、一枚の紙のようなものが入っているのが感触で分かった。
「これは?」
「ジェクトのものだ」
どくんと胸がなった。手の中にある麻の袋の重みがずんと増した。
今まで影を消していたオヤジの影が色濃く現れた。それではこの血はオヤジのものか?海で死んだのに?なぜ?
きつく縛られた袋の口を解こうと手をやるが、途中でその手を休める。
怖かった。ここから得体の知れない、ティーダの知らないジェクトが現れるような気がして、怖かった。

「……あと一年だ」

躊躇しているティーダに追い討ちをかけるようにアーロンが言う。
「一年?」
「……十年で、節目だ。……始まる」
「なにが」
「さあな」
さあな、って……ティーダは口篭り、ああもう、と声を出した。
「あんたさ、いっつもそうだよな。さあな、そうか……たまには別のことを言ってみろよ。意味のわからないことしょっちゅう言うしさ」
腕を振って、頭を掻いてティーダは言う。
「……お前も時折話が通じないときがある」
アーロンは手短に言うと酒瓶をぐいと呷り、颯爽とドアに向かいドアノブに手をかけた。
酒の香りを匂わせる者とは思えぬほど、しっかりとした足取りだった。
ぼんやりとそんなことをティーダは思い、ドアを開けるアーロンに慌てて呼びかける。
「アーロン!」
僅かに開かれたドアから夜風が入って、海の香りがした。アーロンの酒の匂いと海の香りが混ざって、不思議な匂いに変わる。
アーロンは肩越しに振り返った。眉間にはいつものように皺が寄せられていて、近寄りがたい雰囲気を出している。
ティーダはじっとアーロンを見据えると俯き、小さな声で言葉を放った。

「あんたも、寂しいんだな」

こんなに酒を飲むのも、きっとオヤジへの弔いなのだろう。
アーロンがいつも持っている杯は三つ。一つは自分用、もう一つは、きっとオヤジの分だ。
あともう一つは誰のものかはわからないが、きっとそのうちの一つはオヤジの分だ。
毎晩の夜酒に、アーロンは誰もいない席に杯を置き、それになみなみと酒を注ぎ乾杯している。
あんたと俺はさ、付き合い長いんだから、隠そうって思っても無理なわけ。
「意味が分からないな」
鼻で笑うアーロンの言葉に、ティーダも顔を上げて笑って応えた。口の端がぴりりと痛む、笑みだった。
アーロンはそんなティーダを見て口を閉じ、大きく息を吐いた。
「泣きそうな顔をしている。寂しいのなら寂しいと言え」
急な言葉に驚いて、そういえば、アーロンは毎年オヤジの命日には一緒に寝てくれたのを思いだした。
さすがに今一緒に寝ることはないが、きっとアーロンなりの心遣いだったのだろうと思う。
「別に、そんなんじゃないよ。呼び止めてごめん、早く帰れよ」
何か言いたげなアーロンを無理矢理言い包めて、なるべく言葉を発しないように、ぐいぐいと体を押しやり外へ出した。
ドアを閉める間際、アーロンと目が合った。何か言葉を発しようとする口、それが動く前にドアを閉めた。

鍵をして椅子に座り、テーブルに麻袋を置きジッと見入る。
これはオヤジの何なのだろう。血のようなものはオヤジのものなのだろうか。
そもそもアーロンは一体、オヤジとどのような経緯で友達になったのだろう。
そのうち、本当にアーロンはオヤジの友達なのだろうかという疑問も浮かび、ティーダはそれを打ち消した。。
麻袋を指で擦り、中の薄い何かを何度も確認する。
それを何度か繰り返し、大きく息をつく。
ジェクトがなんだ、オヤジがなんだ。10年前に死んだオヤジの遺品が出たら、こんなに戸惑う俺はなんだ。
小さい頃の俺と変わらないじゃないか、弱虫ティーダ。
自分を叱咤し、ついた息を大きく吸い込み、麻袋の紐を解き開ける。
中には茶色く変色した何かが入っていた。一枚の紙のようなそれを取り出すと、それは一枚の写真だった。

写真には、ティーダを真ん中に並ぶジェクトと母の姿があった。
ジェクトは母の肩に手を回し、母はティーダの頭を撫で、ティーダはブリッツボールを持って笑っている。
もきらきらと輝く笑顔があった。頭上には真っ青な空があり、背後には白い砂浜と、空と同じ色の真っ青な海。
写真は皺皺に歪み、所々日に焼けたように色が変わっていて、過ぎた年月をそれが物語っていた。
それでも、この写真からは幸せの二文字がくっきり浮かび上がっていた。

「……ちくしょう」
写真に向かって、呻くように呟いた。
ジェクトに対してあるのは怒りだけだった。怒りと激しい空虚感だけだった。
あんたが死ななかったら母さんは死ななかった。あんたのせいでみんなダメになった。
わけの分からない酷いことを言われたりした。なにも言わずに俺達の元から去ったあんたのせいだ。
なのにこんな写真を持っているなんて卑怯だ。
麻袋に写真を詰め込み握り締め、ゴミ箱へ捨てようと腕を振り上げた。
しかし、振り上げた腕は空で止まり、代わりにただただ、わけもなく涙が溢れるばかりだった。










2006/7/15  meri.



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