物心ついたときから、ティーダにはブリッツがあった。
ブリッツボールは昔から大人気のスポーツだったし、ジェクトはブリッツボールの有名な選手だった。
「ブリッツやってみるか?お前には到底無理だろうけどよ」
ジェクトがある日言い放った言葉に、ティーダは二つ返事で同意した。何が何でも父に褒めてもらいたかった。
物心付いたときからジェクトはティーダをバカにしていて、そのたびにティーダの目頭は熱くなって、胸がぎゅ、と締め付けられた。
「ほら見ろ、すぐ泣く」
厳しいトレーニングに泣き出してしまうティーダにジェクトは言う。
当時ティーダは同級生に、女みたいに泣いて、声も女みたいだとからかわれていた。
そのたび泣きながら帰って、母に慰められ、ジェクトは呆れたとお手上げのポーズを取った。
「天下のジェクト様の息子がそんなにメソメソ泣いててどうする?お前、男の大事なモンはついてんのか?アァ?」
「……ついてるよ」
「だったら泣くのはやめろ。ほら、早く潜れ」
乱暴に目元を拭われ、早く、と頭を押さえつけられ水へ入れられる。
こうされるのはいつもだったし、最初は鼻に水が入って溺れたりもしたが、そのうち予告なく水に押し込められても溺れることはなかった。
水は嫌いじゃない。泣いても水は優しく拭ってくれるし、体を包まれると心がすうっと落ち着くから。

水に慣れるにつれ、ティーダの中には大きな変化が起こっていた。
今まで同級生に苛められることが多かったが、ある日ティーダは反撃に出ることができたのだ。
それはいつもの囃し立てる声で、気が付いたらそうしていた。
ティーダは一発、大きく足を踏み出して一人の少年の頬を拳で殴った。
人を殴ることは初めてで力のコントロールが効かなかった。少年はその場に倒れ、唇を切ったのか、口から血を流していた。
その少年はリーダー格的な存在だった。
「普段おとなしいティーダが殴った、しかも唇から血を出すほどの大ダメージ!」
それは一気に広まり、学校では問題になり、教室では大騒ぎになった。
「なあなあ、どんな魔法使ったんだよ。見直したぜ」
今まで話したことのない男の子が肩に手を回して笑う、女子はどうして?と興味津々の顔で尋ねる。
周りの世界が変わった。ティーダはいつも感じていた息苦しさを、その日から感じなくなった。

その頃、ティーダの変化に伴い、ジェクトに対する想いも変化していた。
今までジェクトに認められたい、褒められたい一心でブリッツを続けてきたが、ジェクトはそんなティーダを褒めることはなかった。
そのたびにティーダはどうしようもない気持ちになるのだ。まるで捨てられた動物のような、一人暗闇の中、ぽつんと置き去りにされたような。
お父さんは僕のことが嫌いなんだ。
幼いティーダが辿り付いた答えはそれだった。
「お父さんは僕のことが嫌いなの?」
以前尋ねた言葉に、ジェクトは何の言葉も発しなかった。
きっかり十秒まっても何もいわない父に、今まで期待していたことが全て裏切られたような気がした。
鈍器で頭を殴られたように、足元はふらふらで、ティーダはじっと地面を見ながら帰路についた。
これ以上何も言わないと心に決めた。ジェクトに対して努力を重ねるたびに、胸はずたずたにナイフで傷つけられたように痛むんだ。

プールへと深くもぐりこむ。水面を見上げると、ゆらゆらとライトが水の中で屈折して光った。
今でも水面からあの太い腕が伸びてくるような気がする。
水に慣れ、水中でも息苦しさを感じなくなったティーダは時折、トレーニング中ということを忘れて、今のように潜り込むことがあった。
幼い頃は大分浅いプールで潜っていたので、ジェクトは一定時間が経ってもティーダが顔を見せない場合、あの毛むくじゃらの太い腕を水に突っ込んでティーダの腕を掴み上げた。
「時間がきたらきっかり上がるんだ。お前は死んでもいいのか?もう泣くこともできねえんだぞ?」
「そんなの辛いだろ、お前の趣味だからな」と、がはははは、と豪快に笑う。みんなジェクトはヒーローだといったが、ティーダからしたら熊だ。
動物辞典でしか見たことのない動物だったが、毛むくじゃらの腕で魚を取る写真はジェクトにそっくりだった。
熊は魚を取るが、ジェクトは毛むくじゃらの腕でティーダを取り上げる。まさしく熊だ。

そのうちティーダはブリッツのチームに入り、多くの優勝を飾った。
だが、いつもジェクトの名前は影のようについてきた。
「伝説のブリッツ選手、我らがヒーロージェクトの息子!ティーダ選手!」
新聞の見出しはいつもこうだった。ティーダはそのたびに嫌気がさした。皆、ティーダ、の前に「ジェクトの息子」と律儀につける。
不運なことに明日はジェクトの命日で、それに試合も重なっている。きっとジェクトの名前は連呼されることだろう。
最悪だ。呟いて、プールから上がった。

そこに仁王立ちしている男はもういない。








2006/7/3 meri.










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