最愛
わたしにとって、あなたは一瞬だけの存在よ。
たとえば、気まぐれに本棚から選んだ一冊の本。
たとえば、街中ですれ違う一人の人間。

わたしにとって、あなたは捨て去る存在よ。
たとえば、花の成長を邪魔する雑草。
たとえば、綴りを間違えて捨てる紙。

わたしにとって、あなたは避けるべき存在よ。
たとえば、道にある大きな水たまり。
たとえば、目の前に生じた大きな壁。

わたしにとって、あなたは忌まわしい存在よ。
たとえば、その黒い服。
たとえば、いつも身にまとっている血の香り。

わたしにとって、あなたはすべてを無にする存在よ。
たとえば、優しく微笑んだわたしの母。
たとえば、口先だけの約束をつぶやいて消え去った彼。

わたしにとって、あなたはわたしの心を乱す存在の一つよ。
たとえば今。
わたしの目からは塩辛い液が盛んに分泌されて、わたしの目をうるおして頬を伝ってる。

わたしにとって、あなたはつらい思い出にしかならないわ。
たとえば、あの薄暗い研究室。
たとえば、わたしの身体を触る研究者。

そうして、あなたはまた一つ、つらい思い出をわたしに植えつける。

「ツォン」

わたしにとって、あなたは目を伏せなければならない存在よ。
わたしにとって、あなたは憎むべき存在よ。



それだというのに、なぜ。



2009.2.12 エアリス



寓話

幼い頃、ツォンとはよく遊んだ。
その頃のツォンは、よく笑ってくれたと思う。
あまりよくは覚えていないけれど、彼は優しい瞳を持っていた。
ここから見上げるツォンと、その頃のツォンは似ても似つかない。

ツォンの声が好きだった。
低く、耳をくすぐるあの声。
わたしの深いところまで染み入って、彼から聞く御伽噺は輝いて見えた。
「ツォン、ツォン。お花、育ててみたいの。でもね、博士は笑ったの、無理だって」
ある日、わたしは言った。
大人はみんな笑った。花を育てるなんて、それこそ御伽噺だと。
「科学者はそういうものだ。育ててみよう」
ツォンは言って、決して馬鹿にしなかった。
口先だけの言葉じゃなくて、次の日には肥料や種を持って現れた。

ツォン。
ここから見上げるあなたの表情を読み取ろうとしても、薄暗いここでは分からない。
「久しぶりだな、エアリス。元気にしていたか?」
変わらない声だった。
思わずわたしは目を細めてしまう。
もしかしたら、彼はあの時と同じ瞳でわたしを見ているのかもしれないと。
「神羅に協力してくれると思っていたが……まあ、いい。こうやって冒険ごっこを続けるがいいさ」
言葉を聴き、考えを改める。
ここにいるツォンは、もうわたしに御伽噺を語ってはくれないのだ。

もう、あの頃みたいには笑えない。



2009.3.22 エアリス ツォンエア率高い



魂の慟哭

俺の手を引き、ロトは言う。
「鳥の巣を、見つけたんだ」
連れて行かれた先には大木があり、枝と枝の間に鳥の巣がある。
そこから雛の甲高い声が聞こえ、俺の耳をつんさぐ。
「見える?あそこの……」
「鳥の巣なんて珍しくもない」
俺の言葉に、ロトは笑顔を浮かべたまま固まっていたが
「そっか。テッドは、いろんな国を見てきたんだもんね。僕はあんまり見たことがなかったから」
そっかあ、そっかあ、と繰り返してロトは笑っていた。
ロトはいつもそうだった。
俺が何度怒らせるようなことを言っても、笑っているのだった。
それは俺の神経を逆撫でするものだった。

ある日の昼下がり、ロトはおもむろに将来の話を始めた。
俺はロトの話には大して興味がなかったので、いつものように適当に相槌をついていた。
「僕は将来、軍人になるんだ。父さんがそうだから。でも、たまにこのままでいいのかな、って思う」
ロトはたどたどしくそう言って、俺を見た。
どう思うのかと俺に尋ねたいようだったが、興味のない俺の瞳を見るなり
「テッドは将来何になりたいの?」
と尋ね返した。

将来。
視線を窓に向ける。窓からは中庭が見えた。
真っ白なシーツが風に身を翻している。太陽が暖かい。

「……年をとりたい」
祖父の顔は思い出せない。
住んでいた村がどこにあったのか分からない。
唯一記憶にあるのは、こんな日に俺は遊んでいたということだ。
あの村はどうなっただろう?今頃木々が多い茂って、森の一部と化しているのだろうか。
できることなら、あの村で過ごしていたかった。

白髪になって、ひげを生やして、腰を曲げる老人になりたい。
皮膚に今まで生きてきた年月を刻み、この世界を見たい。
こんな日には、こうして窓辺に座ってまどろんでみたい。
暖かなベッドで静かに、心臓の止まる瞬間を迎えたい。

さわさわと風が頬をなでた。
俺はシーツしか見ていなかったから、隣のロトが笑っているのに気付かなかった。
「やだなあ、テッド。生きてればみんな年をとるじゃないか」
弾かれたように窓からロトに視線を移す。
目の前の人物は、テッドが冗談を言うなんて珍しいねと言っている。

ロトの笑い声と、言葉がエコーする。
そうだ、こいつとは違うのだ。
俺はそれを理解した。
目の前で口をあけて笑っているこいつは、違うのだ。
同じ空間にいるというのに、大きな壁が目の前にはあった。

頬に異物を感じて、それを指先で確認する。
唇に触れて塩辛い。
それは涙だった。
ロトを見ると、口を閉ざして、目を見開いて俺を見ていた。
おもむろに立ち上がり、足早にそこから立ち去る。
背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえて、それを遮るように部屋のドアを閉める。

あいつには分からない。
分かりっこないんだ。
俺の気持ちなんて、分からない。
村を焼かれた絶望も、森を逃げ惑う恐怖も、人を殺した慟哭も。
あいつには分からない。
将来に悩んでる?親の言うとおりにすることに不安をもつだと?
皆に愛され、坊ちゃんと呼ばれているあいつには何一つ分からない。
分からないんだ!

背後のドアがうるさい。ドアを叩く音と、俺の名を呼ぶ声。
枕を投げつけると静かになった。俺はベッドに横たわり、まぶたを閉じる。
右手に、ロトの体温が思い出されて、俺は涙をぬぐった。


2009.3.25 幻想水滸伝 テッドと坊ちゃん



なぜ、あなたは困ったように笑うのだろう。
悲しげに見えるのは、あなたを形成するすべてが黒で埋め尽くされているからだろうか。

「エアリス、我々に協力してくれるか」

もはや形式じみたセリフに嫌気がさす。
わたしを救い出す術など持っていないくせに、手を差し出すあなたが嫌いだ。



2009.4.6 エアリス


あの人が帰ってこないとき、彼はいつも遠くから眺めているだけだった。
不安な気持ちを打ち消すために、花の世話を必死にやっているときも
薄暗いスラム街に一人佇む時も
誰もいない教会で一人涙を流す時も
彼はいつも遠くから眺めているだけだった。

今もこうして、わたしは一人歩いている。
誰もいないこの森は明るいけれど、スラム街そっくりだ。
そうして、わたしは時折ふりかえる。
いるはずないのに、いるのかもしれないと。

彼はいつも何も言わなかった。何も言わず、物陰に隠れているのだ。
だから、ほら。
あの木陰に、あの黒い姿が見えるのかもしれない。

(あの人は、もしかしたらあんたに気づいてほしいのかもしれませんよ、と)
ある日、教会で赤毛の男が言った言葉を思い出す。
わたしはその言葉を鼻で笑って一蹴した。
彼は、そんなこと期待していない。ただ、仕事でそうしているだけなのだ、と。

もうあそこには戻れない。物陰でわたしを見守るあの人には会えない。

(悲しい。涙が止まらない。不安なの)
過去のわたしの声が聞こえて、目を伏せる。
気付いてほしいと願っていたのは、わたしのほうだった。




2009.5.10 エアリス


昔、ツォンが何かを言ったような気がする。
ツォンはそれを言ったあと笑った。その言葉は衝撃的で、エアリスを驚かせるものだった。
(いったい彼は、何を言ったのだろう?)
磨りガラスの向こうにいる物体のように、輪郭すらつかめない。

ぐちゃぐちゃに絡まった糸を解こうとするが、糸口が見つからない。
(驚くようなことなのに、なんで覚えてないの)
もしかしたら弱味につけこめるかもしれない、とエアリスは考えていた。
世界にはいろいろなものがあった。
チョコボがいて、海があって、そして人がいた。
そんな世界を旅しているうちに、ツォンが言った言葉は頭の隅へ追いやられた。

ベッドの軋む音で目を覚ます。
目蓋を閉じれば、暗闇に血を流すツォンの姿がよみがえった。
そして、エアリスに向けた力無い笑み。
(ああ、その笑いだった)
エアリスは思い出した。あんなに考えても思い出せなかったのに、なんてあっけないのだろう。
ツォンはその笑みを浮かべたのだ。

「エアリス、開けていい?」
ノック音とともに、ティファの声が響く。
「いいよ」
その言葉を合図に開いたドア。
夕食をトレイに乗せたティファがベッドへと近づき、エアリスを気遣う。
氷水で冷やしたタオルをそっと頬や体に当てて「痛いね、ごめんね」と何故かティファが謝った。

「クラウドは?」
宿屋にやってきて、目を覚ましてから幾度この質問を繰り返しただろうか。
ティファは首を横に振って「まだ眠ってる」と力なく言った。
頬に乗せたタオルが痛みを解していく。
「夢を、見てた」
痛みをこらえてたどたどしく話すエアリスの言葉に、ティファが耳を傾ける。
「ツォンの夢だった」
ティファが息を飲む音が聞こえた。
「そう」
ティファはそれだけ言うと、目を伏せた。
あの大けがで、あそこを脱出できるとエアリスは思っていない。
きっとツォンはあのまま黒マテリアの一部になってしまったのだろう。
それはティファも、ほかの仲間もそう思っているに違いない。

「ツォンは……強い人だった。弱音なんて、聞いたことなかった」
エアリスがひとたび弱音を言おうものなら、辛辣な言葉で責めるような人だった。
決して弱音をはかず、弱い姿も見せようとしない人物だ。
記憶のなかのツォンは常に完ぺきで、怪我ひとつしないと思っていた。

「でもね、ツォンが一度だけ言ったの。でも、それが思い出せなかった。
ずっとずっと考えていたの。暫くその考え自体忘れていたけれど、夢を見て思い出した」
「なにを言ったの」といった言葉をティファは発しなかった。
ただティファはひたすらエアリスの言葉をベッドサイドで待っていた。

「それは、いつもの口喧嘩だった。口喧嘩って言っても、いつもわたしが一方的に怒ってるだけだったけど」
場所は教会だった。
ことの発端は思い出せない。会うたびに嫌味やエアリスの一方的な口喧嘩をしていた2人にとって
理由なんて必要なかった。ツォンが目の前にいるから喧嘩が起こる、それだけだった。
エアリスは言った。
『人さらいをする息子なんて、あなたのお母さんは泣くわね』
言って、「しまった」と思ったがもう遅かった。
母親のことなんて口に出すべきではなかった。頭に血が昇っていて、冷静な判断ができない時なら特に。

「ツォン、顔色一つ変えずに言ったわ。『私は親に捨てられた』って」
その時、エアリスは耳を疑った。
そういう発言をするときは、ただならぬ雰囲気で、沈痛な面持ちで言うようなものだと思っていた。
だが目の前のツォンは眉ひとつ動かさず、まるで他人事のように話した。
突然のことに、ごめんなさい、なんて言えなかった。
ただエアリスは立ち尽くし、口の中がカラカラに乾いていくのを感じていた。

「ツォン、笑ったわ。謝りもしないわたしに向かって……わたしを気遣って、笑ったの」
それだというのに、エアリスは忘れていた。
ツォンを傷つけた自分の言葉を忘れ、そして旅をした。

「そんな大切なこと、思い出したが今更なんて……わたし……」
顔を手の平で覆って、溢れ出す感情をこらえる。
ツォンの笑みを見たのは数えるほどしかない。
エアリスが物心つくまえからそばにいたのにも関わらず、ツォンについて何も知らなかった。

ツォンはいつもそばにいてくれたのに、わたしはいったいツォンに何をしただろう。
なぜあの人は、自分が死にそうな時にわたしに笑いかけたのだろう。
なぜあの人は、笑えない状況で笑ってみせるのだろう。

「私、ツォンっていう人のことよく分からない。
でも……きっと、エアリスのことを大切に思っていたのね」
ティファは言うと、エアリスの頭を優しい手つきで撫でた。
その掌は、エアリスの心のやわらかい部分に触れて、そしてあの日の教会へといざなう。

教会で向き合うエアリスとツォン。
ツォンはあの笑みを浮かべてエアリスを見つめている。
そんなツォンに手を伸ばす。
ツォンの身長は高いが、背伸びをすればその頭に手は届く。
そして撫でてあげようと、エアリスは黒髪に手を滑らせる。
頭だけでなく、冷静な表情を作るその顔も、言葉を吐き出す唇も。

ああ、わたしはこうしたかったんだ。
あの日の教会で、こういう風に撫でてあげたかった。
小さな子供をあやすように、大きな大人を抱きしめてあげたかった。
そうしたら、ツォンはああいう風に笑うことはなかった。
あんな風に、口端を無理やり上げさせることはなかったのに。

「ごめんね」と言うと、ツォンはやんわりと首を横に振った。
そうして、あの笑みを浮かべる。
いつまでもエアリスの心をとらえて離さない笑みだった。

目を開けると、部屋は暗闇につつまれていた。
眠りに入ったエアリスに毛布をかぶせ、ティファは部屋を後にしていた。
(また、夢)
ぼんやりと考えて、ずれ落ちたタオルを頬に当てる。
冷たさを失ったタオルは熱を解してくれないが、ないよりはましだった。
眠気はもうないが、目を閉じる。また彼に会いたいと、エアリスは願った。
これからさき、わたしは何度夢を見られるだろうか。
そのたびに、夢で彼に会うだろう。
笑うたびに、彼の笑みを思い出すに違いない。

最後に残したものが笑顔だから、胸に刻まれ影となる。


2009.6.2 エアリス


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