夜中にふと目が覚めた。
ふかふかのベッドに体を横たえ、これまたふかふかの毛布に体を包んでいたクラウドは体を起こすと、枕もとの懐中電灯に手をやった。
懐中電灯で掛け時計を照らすと、時刻は真夜中の3時を指していた。
久しぶりのベッドだというのに、何故目が覚めたのだろう。
不思議に思っていると、ドアの向こうから人の歩く足音が聞こえた。
ぱたんぱたんと、ドアの前を往復している。
子供の足音だ。クラウドは思うと、ドアを開けた。
「わあ!」
大きな声があがり、大きな瞳がクラウドを捉える。暗闇に慣れない目を凝らさなくとも、声でマリンだと分かった。
手に持っている懐中電灯でマリンを照らす。マリンは手をかざして顔を背け「クラウド、まぶしい」と呟いた。
「ああ、ごめん」
クラウドは眠気眼で答える。
懐中電灯を下ろすと、マリンがクラウドを見上げる。
「よく分かったね」
「足音で分かった」
大きなあくびをしてから、クラウドはマリンを見下ろした。
肩で切りそろえられた髪は所々はねているが、マリンの目はしっかりとしている。今しがた起きたわけではないようだ。
「どうした?こんな夜中に」
クラウドの質問に、マリンはもじもじと体をくねらせた。
恥ずかしがっている、というのは鈍いクラウドにも分かった。
「トイレか?」
俯いていたマリンが顔を上げ
「なんで分かったの!?」
と驚きの声を上げた。

自分の言葉なのに、クラウドは驚いた、と思った。
人の心を先に読み取れたことは、今まで数えるほどしかない。マリンがトイレに行きたい、というのも自然と口から零れた言葉だった。
「クラウドに言うのは恥ずかしかったの」
「ティファはどうした」
「ティファ、声をかけても眠ってるの。起こすのもだめかな、って思って」
だから、俺のところに来たのか。
クラウドは息を吐いた。白い息が出た。
「ずっと待っていたのか?寒いだろう」
言って、マリンの頬を触るとひんやりと冷たかった。マリンはうん、と頷いてから「トイレまでついて来てくれる?」と尋ねた。
廊下は窓から差し込む月の光で、道筋もちゃんと分かる。
だが、マリンにとっては恐ろしいのだろう。たとえば、窓にあるカーテンの隙間から人がのぞいているかもしれないとか、物影から何かが飛び出してくるかもしれないとか。
考えて、笑みを零した。俺も昔はそうだった。






クラウドは暗闇が苦手だった。
これという理由も無いが、クラウドはとにかく暗闇が苦手だった。
暗闇の中で一番嫌いなのが夜だ。昼間に入る洞窟や薄暗い部屋などは、すぐに光ある場所へ抜け出せるから気が楽なのだが、夜は朝にならないと光は差さない。
眠っている途中で目が覚めなかったら良いのだ。
だが、時々、どうしても眠れない日がある。その日のクラウドは瞼を瞑って眠るように努力したが、到底無理だった。
ベッドから体を起こし、周りを見渡すが、当然部屋は闇に包まれていた。
トイレに行きたい、と思った。ランプを取ろうと、ベッドの隣の棚に手を這わせて、クラウドは大きく溜息をついた。

小さな村の、小さな宿屋には電気はなく、明かりはランプだけが頼りだった。だが、この村にはランプそのものが貴重なもので、宿にあるランプはたったの一個だ。
宿に泊まっている客はクラウドたちだけで、ランプはエアリス達、女性陣に取られてしまった。
「男の人はいいけど、ねえ?」とエアリスとティファは顔を見合わせ笑っていた。
そのときは「勝手にしろ」と言ったが、こうなることを考えていなかったのだ。

暗闇はクラウドを包み込んでいて、月の光で僅かに足元が見えるだけだ。
クラウドは何の変哲も無いドアをにらみつけた。こうすることで、少しだけ勇気が出るような気がしたのだ。
立ち上がりドアへと進む。いつもなら五秒もあればたどり着けるというのに、一歩一歩、間合いをとるようにクラウドはじりじりとドアににじり寄った。
誰かに見られているような気がして、心臓はどくどくと音を立てた。誰かいるのかと周りを見渡すほどの勇気も、今のクラウドにはなかった。
ドアノブを掴むと、素早い速さで、しかし閉める時は音をたてないよう、そっと閉めた。音を立てると、誰かに見つけられるような気がした。
誰かに見つけられると、それこそどこか分からない世界に引きずりこまれるのだ、とクラウドは意味の分からないことを本気で考えていた。

廊下はひんやりと冷たく、頬の産毛がぞわりと立った。小さな宿の、短い廊下がとてつもなく長く感じる。
右には一面の窓があり、そこから月光が差し込んでクラウドの影を映した。窓の外は庭だが、雑草の生えるお粗末なものだ。
昼間はなにも思わなかった庭だが、夜になるととても不気味に感じる。クラウドは庭から意識をそらし、目の前の廊下を見つめて考えた。
たしか、トイレは突き当たりを左に曲がればいいんだ、クラウドは思うが、なかなか足が踏み出せない。
突き当たりの壁を見つめていると、もしかしたら別のものが見えるかもしれないと思い今度は鳥肌が立った。
もし、そこの棚の上にある花瓶が独りでに倒れたら?もし、耳元でこの世のものではない者の声が聞こえたら?
クラウドは想像して、首を横に振った。考えたくも無い。そんなことが起きたら、俺はこれから一生、夜に目覚めないよう睡眠薬を飲むだろう。
夜が怖いだって?クラウドさんよ。
バレッドはきっとこう言うだろう。シドとユフィにばれたら、それこそ一貫の終わりだ。夜が怖い?怖いなんてことはないさ、ただ苦手なだけだ。
クラウドは心の中でいろいろなことを考えて、一つ一つに答えていった。どれほどドアの前で立ち尽くしていたのだろうか。クラウドはすべての可能性に答えると、息を吐いて足を一歩踏み出した。

軋む音が響く。ぎし、ぎしという音は、不安な心を煽った。クラウドはできるだけ速く歩いた。
ぎしぎしぎし、自分の足音なのに誰かが後ろからついてくるような気がする。
ぎしぎしぎし、今ここで肩を掴まれたらどうしようか。失敗だ、バスターソードは部屋に置いてきてしまった。
ぎしぎしぎし、突き当たりの壁がかすかに見えてきた。あと少しだ。
……ぎし、ぎし……。
クラウドの足は止まった。
……ぎし……ぎし……。
自分ではない、何者かの足音が聞こえる。
クラウドの視界には入らない、そう、トイレの方からだ。そういえば、昔本で読んだ。怖い話や、怖いことを考えていると「呼んでしまう」ということを。
壁が徐々に明るくなる。壁に影が映る。「なにか」の姿だ。
髪は長く、ぼさぼさだ。手を胸に置いて、背中を曲げて歩いている。女だろうか?この宿には俺達しか泊まっていない、主人だって男だ。女なんてここにはいないはずだ。
エアリスとティファは以前「一度眠ると何があっても目は覚めない」と話していたのを覚えている。ティファとエアリスでもない。
女の影は、手に息を吹きかけて寒そうに身震いしていた。寒い思いをして死んだのだろうか、俺は一体どうなるのだろう。

クラウドの足は動かなかった。まるで根を張った植物のように動かない。だが、青い瞳は影を追っていて息が上がる。
足音が近くなる。あと数歩あるけば、女の亡霊は俺を捕まえて地獄へと引きずり込むのだろうか。
心臓が早鐘のように鳴り響く。心臓が痛い。息ができない。目の前がくらくらする。
女の髪が壁から垣間見えたとき、クラウドは硬く目を瞑った。周りが暗闇に包まれた。





「クラウド?」

聞き覚えのある女の声だった。ぎしぎしと床を軋ませ、それは近づいてくる。
「どうしたの?気分でも悪いの?」
目を開けると、そこにはエアリスがいた。いつも後ろで縛っている髪を解いて、ランプを持った手と手を擦り合わせながらエアリスはクラウドを見上げていた。
「……なんだ」
はぁ、と息を吐いて、クラウドは自嘲気味に笑うと頭を掻いた。エアリスは首をかしげて「なにが?」と尋ね返す。
「いや、なんでもない。あんたは何してるんだ、こんな夜更けに」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「そう、なんとなく外に出てみたのよ。そしたらクラウドがいるんだもの、驚いちゃった。あ、もしかしてランプ無しで出てきたの?そうよね、ランプは私が持ってるんだから」
そこでエアリスは、何かを考える仕草をして、そしてクラウドをまた見上げる。
心臓はまだどくどくいっていたが、それをエアリスに悟られないよう、クラウドは冷静を努めた。
だが、エアリスは口元に手をやり楽しそうに笑う。

「ねえ、もしかしてクラウド。もしかしてだけど、怖かったの?」
エアリスの大きな瞳に見つめられ、クラウドは思わず目を伏せてしまった。
伏せた瞬間、しまったと思う。その行動に、エアリスはまた笑うと「へえ」と言った。
「そうなんだ。クラウド、夜怖いんだ」
「違う!」
すぐさま反論しようと声を上げるが、それは逆効果だったようだ。エアリスは楽しそうに笑い、手を叩いて喜んだ。
「やっぱり」
言って、エアリスはいつものように腕を後ろで組み、クラウドの顔を覗き込んだ。クラウドは反射的に顔を背けるが、エアリスは手に持っているランプでクラウドの顔を照らす。

嫌だ。
クラウドは思った。
エアリスはこれだから嫌なんだ。俺が嫌だということを楽しそうに笑って喜ぶ。
弱みを知ってそこまで喜ばなくてはいいんじゃないか。

「嬉しいなァ」
言葉と同時に、顔を覗き込んでいたエアリスが体を引いたので、クラウドは顔を背けるのをやめた。首筋が痛む。
ハァ、と首筋を撫でながら溜息をつく。エアリスはまだ笑っていて「ごめんね」と、悪びれた風もなく言った。
「わたし、誰にも言わないわ。ヒミツ、ね」
わたしとクラウドと、と付け足して、エアリスは小指を差し出した。
付け足した言葉をゆっくりと、力を入れて言ったのがクラウドには気になった。そんなに強調しなくてもいいんじゃないか。
「ほら、指きり」
「そんなのはしない。子供がすることだ」
「もう、いっつも子供扱いね。わたしのほうが年上なのに」
エアリスは言うと、諦めて小指を下ろした。クラウドはやれやれと息を吐いて、もう部屋に帰ろうと考えた。
トイレに行きたかったが、そんな気ももうしない。

「俺はもう部屋に帰る」
ぶっきらぼうに言って、今必死に歩いてきた道に向き直る。
さっきまで怖がって……いや、慎重に歩いてきた道だが、改めてみるとそこまで慎重にならなくてもいい、なんの変哲も無い廊下じゃないか。
ただ汚れていて、体重をかけると不気味に板が軋んで、抜けてしまうんじゃないかと勘ぐるだけのことさ、なにも怯えなくたっていいぞ、クラウド。
「これ」
歩き出そうとしたクラウドの腕を引っ張って、はい、とランプを差し出す。
「なんだ」
「持っていって」
大きな目、きらりと光るエメラルドグリーンの瞳。
「そんなものはいらない」
「そんなもの?そんなものがないと、部屋にいつまで経っても戻れないわ。わたしはだいじょぶ、平気だから」
エアリスの言葉に余計クラウドは気を悪くした。
女がランプ無しに帰ることができるというのに、大の男が暗闇が怖くて帰れないとは格好が悪い。
手を振ってそれを拒否し、クラウドは暗闇のなか廊下を歩いた。
ぎしぎしと廊下は相変わらず軋んだが、背後でエアリスが見ていることを考えると不思議と平気だった。
人がいるから心強いのだ、と思いながら歩いた。月の光がクラウドを包んでいた。









水を流す音と共に、マリンがトイレから出てきた。
クラウドははっとして、マリンを見る。物思いに耽っていた。
「どうしたの?クラウド。なにか考えてた?」
壁にかかったタオルで手を拭きながら尋ねるマリンの頭を撫でて「少し」と答える。
マリンは、へえ、と言って目を細めた。まるで猫のように。
「クラウドは夜が怖くないの?」
「昔は怖かった」
またマリンはへえ、と言うと、きらきらと輝く瞳でクラウドを質問攻めにする。
「どうして?私とおなじ?あのね、暗いところから人が出てくるんじゃないかとか、廊下を歩いていたら誰かに見られている気がしてドキドキするの。
クラウドはどうして怖くなくなったの?やっぱり、強くなると怖くなくなるものなのかしら」
マリンは腕を組んで「もう怖いのは嫌なの」と言った。
クラウドは何度もマリンの頭を撫でて、廊下を歩き出した。マリンはクラウドの後ろから小走りでついてくる。
「人がいたら怖くない」
背後のマリンを時折振り返る。
「だから、また怖くなったら部屋に来たらいい。今度はすぐに俺を呼ぶんだぞ、風邪でも引いたら大変だ」
そこで、マリンはクラウドの前に回りこんだ。
驚いて足を止めると、マリンはしてやったりの表情で笑う。そういえばエアリスも、こういう表情でよく笑った。


「ねえ、クラウド。私、クラウドと結婚してやってもいいわ」
「は?」
突拍子もない言葉に、まぬけな声をだしてしまい一つ咳払いをする。
口をあんぐりと開けるクラウドに、マリンはやれやれといった雰囲気で話を続ける。
「だからね、クラウドのお嫁さんになってもいい、っていったの。だって、クラウドってなんだか放っておけないんだもの。
確かに強いし、頼りになるわ。でも、放っておけないの。不思議!これが母性本能をくすぐられる、ってものかな!」
母性本能、クラウドは心の中で繰り返して、どこで覚えてきたんだ、と驚愕した。
年端もいかない子供がそんな言葉を言うなんて。そういえば、マリンは最近、大人が読むような本を読んでいる。
子供の成長は早いな、とクラウドは思って、マリンの頭を再度撫でた。


光満ち溢れる世界になった、俺もこうして前を向いて歩くことも、暗闇を恐れることもなくなった。
もう、あんたの夢を見ることもなくなった。次は声を忘れるのだろうか。姿や顔も思い出せなくなって、後には一体何が残るんだろうか。
分からないが、もう過去に縛られるのはやめたんだ。
口端を上げ、クラウドはマリンに向かって小さく微笑んだ。

「お手柔らかに頼むよ」


あんたのいない、冬が来る。







2006/11/7 meri.






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